はねゆきノート

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休日出勤の思想

よく「自分の頭で考えろ」「自分の考えを持て」というけれど、なかなか難しい。

もちろん好き嫌いは誰にでもある。たとえば私は、休日出勤が「嫌い」。
でも、好き嫌いを超えて行動することもある。破綻するのが目に見えていて、無視できないから、嫌いだけど、休日出勤する。そこには「破綻するのが目に見えているのに無視して休んではいけない。自分の休みより、全体の動きを優先しなければならない」という「思想」があるようにも見える。
けれどよくよく考えてみれば、それがただの惰性ではなく、思想に基づくものであるとどうして言い切れるだろう?
ちなみに、休日出勤したら案の定破綻していて、「休日出勤だとか関係ない、来たからにはもっと何とかしろよ!」とお叱りを受けた。たぶん彼は最初から、私が休日出勤するだろうということも計算に入れて勤務を組んでいるのだ。まさか見捨てて休むとは思っていない。
そのように上司の計算に入ってしまうようなことがらについて、「思想」と呼べるかどうかは非常に疑わしい。「思想的にあいつは最後には来て何とかするだろう、休みでも…」という独白は成立するのかどうか。むしろ「性格」と呼ぶべきかもしれない。となるとやはり、惰性に近い何ものか、なのだろう。
(ちなみに、休んだら休んだで、彼は烈火のごとく怒り狂ったことだろう。結局私には選択肢などなかったのだ。選択肢のないことがらについて、「思想」と呼べるかもかなり疑わしい)

話がずれた。
とにかく、自分の考え、思想的ななにがしかを持つことは、とても難しいのだ。
ただ好き嫌いがあり、惰性かも知れない行動がある。その中で、他人や、日々生起するものごとに対して違和感を感じることもある。そういった感覚的なものを、見逃すことなく掘り下げていって、その根本になにかの思想が種芋みたいにくっついていないか、逐一確認するしかないのだろう。


最近、会社の上層部が好んで引用する言葉。

「努力する者は希望を語り、怠ける者は不満を語る」

作家の井上靖の言葉だそうである。
この言葉じたいは、真理をついていると思う。確かに、仕事ができない人は、周りへの不満を言うものだから。
しかし、これを役員が従業員に対して言うことについて、少しだけ違和感がある。
確かに不満はある。言いもしよう。一番は休日出勤を前提として勤務が組まれること。
現状、うちの会社で先の言葉は、

「文句を言わずに、休まず働け。」

と同じ意味になってしまう。

本当に嫌なやつらだ、と思う。
しかし、「全体を優先し、必要とあらば休日に出勤するのは社員として当然である(したがって不満を持つものは怠けている)」というのは、間違いなく一つの「思想」である。心の底から信じているのかもしれないし、ただ信じているふりをして利用している方便なのかもしれない。思想とは、好悪や感情から切り離され、他人に惰性以上の行動を強いることができる、本当に使い勝手のよいものなのだ、と思う。
思想がそういったものであるならば、私は外付けの道具だて以上には、持っていない。深いところをえぐってみても見つからないわけだ。
思想を持たない私は、逆らえないどころか、染められつつさえあるのだ。