はねゆきノート

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【読書】内田樹、光岡英稔『生存教室 ディストピアを生き抜くために』

本日から、ゴールデンウィークに入りました。
うちの会社の「正月」とも揶揄される、1年で唯一の大型連休。
1週間まるっとお休みのため、とりあえず実家に帰ってきました。
ノープランですが、本を読んだり、英語の勉強をしたりしながらゆっくり過ごそうと思います。


さて、移動中にこんな本を読みました。

 

生存教室 ディストピアを生き抜くために (集英社新書)

生存教室 ディストピアを生き抜くために (集英社新書)

 

 思想家にして武道家の内田先生と、各界から大注目の武術家・光岡先生の対談本です。
暗殺教室』を入口に、「現代社会をサバイブする」というテーマで繰り広げられる「身体論」「教育論」が対談の中心でした。


特に「ここ1~2世代で日本人の身体(身体観)が大きく変化した」「古い世代の武術が前提としていた身体性のアベレージが変わってしまい、成立しなくなった武術もある」といった話題が印象的でした。
明治初期の米俵1俵が60キロだったそうですが、なぜ60キロになったかというと「誰にとっても肩に担げる持ち運びやすい重さだから」(!)実際、米俵5俵を担ぐ農婦の写真なども出てきます。今では考えられないことですが、それぐらい、身体も身体観も変わってしまった。「同時代のみんなが、これくらいできる」という平均的な身体能力の前提が変わってしまった…っていう話なんですよね。

特に、椅子の上で過ごす時間が長くなったことで、足腰が弱ってしまった…と光岡先生は述べています。


デスクワークには足腰や肚は関係ありません。動かしているのは胸から上だけです。古の時代では普通にあった身体を失っているし、無論足腰や肚は感じられない。とはいっても、やはり生きているわけですから、なにか身体っぽいものがあるのはわかるけれど、それに対してはアクセスする術がわからず、一切無力という感じにしかならない。自分が幽霊のように足腰のない状態になっています。

 

自分が生きて行く上で欠かせない足腰が抜けているから自信も持てず、自身の身体が観えていないゆえに現代人は頭しか使えなくなっています。身体を動かすことなく頭の中だけで辻褄を合わせようとして、他人の意見と自分の意見のすみ分けもできず、他人から得た情報を自らの経験を通さず自分の意見であるかのように勘違いする。他人の言葉で語り、それを自分だと錯覚する。
生きるとはまずは自分一人で現実に向き合えるかどうかが大前提のはずです。


…耳が痛いお言葉。
自分もふだん、頭でっかちだなぁと思うことが多々あるんですよね。
ふと人に向かって口に出した瞬間に、浅はかさ(地に足がついていなさ加減)がわかるような考えや感情、というんでしょうか…
そういうのは、ふだん孤独で、夜や朝、悶々と一人で考えてしまうから、一人よがりだというのもあるし。
一方で、身体をまったく動かさず、頭の中だけで考えたことだから…というのもあると思うんです。
考えたことや思ったことや、もっといえば愛したこと、憎しんだことすべて、地に足がついていなくてバーチャルな感じ。それでも、ちょっと身体を動かして、身体的な苦しみを実感として味わうと、小さな悩みや現実的でない苦しみは吹っ飛ぶ…ということはあると思います。ですから、日ごろ運動をしたり、鍛えたりして、身体性にアクセスする習慣を持っている人が羨ましいです。

 

いやぁ、運動したいなぁ。
以前ホットヨガをかじったこともあるのですが、あまりにできなくて浮いていて(笑)周りの目が気になったので、続かなかったんですよね…
あれもほぼほぼシティガールのファッションと化していますからね。そんなじゃなくてちょっと身体を動かす習慣が身につくような趣味があるといいんですが。


教育論も示唆的でした。

自分で生きていく力を自身の中に見つけることが大切であり、言い換えれば教育とは学ぶ人が有無を言わせない自信をもてるように促すわけですが、それはあくまで本人の中で感覚として得られるもので、強いることはできません。

 

個性に焦点化するというのは教育においてまちがいなくもっとも効率的ですね。


さてさて教育業にかかわって5年目、本当に一人一人を伸ばす指導ができるのか?
個性に焦点化し、長所を伸ばし、苦手は「手入れ」して、自信を持たせられるよう、今年度も頑張ります。

以上はねゆきでした。

 

【勉強法】暗記系問題集、一巡めは一気に叩く

フォレスト問題集を一巡しました。

総合英語Forest(7th Edition)解いてトレーニング

総合英語Forest(7th Edition)解いてトレーニング


序盤の講はスムーズだったのですが…中盤もたつきました。
これは、問題集あるある、というか。
「毎日コツコツやるぞ!」と決めて取り組むと、序盤の方はけっこう一生懸命やるんですが、中盤もたれて投げちゃうんですよね。毎日やっていると、他にも優先順位の高いことがあったりとかして。
で、しばらく触ってなくて、また気を取り直して最初から始めるんですが、結局は中盤で投げ出す、の繰り返し…なんてこと、けっこうありますよね。
だから文法も単語も、序盤は記憶が強化されていて、よくできるけれど、中盤終盤ぐだぐだだったり…歴史も、平安時代までは完璧だけど、戦後はあやふやだったり…

で、考えたんですが。
中盤もたれてきたら毎日コツコツやってる場合ではないな、と。
自転車だって、登り坂は立ち漕ぎしてエネルギーを使って一気に上がりますよね。と同様、コツコツ系の勉強においても、峠は一気に越えないと、一生ゴールにたどり着けないのではないか…と。

単に私が「毎日コツコツ」向きの性格ではないだけかもしれませんが、少なくとも私にとっては、「毎日コツコツ、決まった時間に、ちょっとずつ」というのは幻想です。

たとえば800問あるとしたら、
1~400問目:1日80問×5日
401~700問目:300問を1日で
701~800問目:1日50問×2日
って配分するほうが、

1日100問×8日、ってスケジュールを組むより、成功率が高い気がして。
とにかく、今回一巡できたのはそういうスケジュールでした。
暗記は、同じ問題集を二巡三巡することが肝であり、誤答対応のサイクルを何回転させられるかがポイントですので、一巡めはがっと片付ける方が、自分には向いているのかもしれません。

あー、高校時代の自分に教えたい(笑)
高校時代、課題の単語帳もネクステージも最後までたどり着いたことなんてなかった…やはりあれは、毎日コツコツやろうなんて思ってたのが甘かったのです。できるわけないだろう。一気に叩くしかないって。

コツコツが苦手な方はお試し頂ければと思いますです。

以上はねゆきでした。



今週のお題「私がブログを書く理由」

そりゃあ「自分が読むため」でしょう。

今週のお題「私がブログを書く理由」についてです。

たとえば、持ち歩いていた本を、通勤途中に読み終わってしまったとしましょう。
さらに、読者登録しているブログの最新記事もあらかた読み尽くしてしまった。ネットニュースもさほど興味を引くものがない。
とにかく、ただたた圧倒的に手持ちぶさたである…という状況に陥ったとしましょう。
待ち時間や通勤時間やなんかでね。
そしたら、何をするか。

私の場合だったら、まず日記(常時持ち歩いている)を読むかもしれないな、って。
そして次にブログを読みます。
過去の自分の書いたものを読むと、すごく興味深かったり、「うんうんそうだよね!私もそう思ってたの!」と激しく同意してしまったり、という部分が多くて…って、そりゃあ自分で書きましたからね!
気づきや学びを書き、後日それを読んで共感する。自給自足。

ここで、「ただ自分が読むだけが目的であれば、アナログの日記帳(もしくは、オフラインのエバーノートやライフログ)でもいいではないか」というツッコミが聞こえてきそうですが。
確かにそうです。というか、もちろんアナログの日記もつけています。ブログには(いくらほとんど読まれないとはいえ)書けないような、ざらざらドロドロしたことや、名指しの悪口(笑)は日記に書きます。

でも、不思議なことに、後で読み返して、共感できる度合いが高いのは、ブログです(アナログ日記を読み返していると、「お前何言ってんの、反省しろー!」と過去の自分を殴りたくなる率の方が高いです)。

たぶんそれは、仮想の読者がいて(実際にはほとんどいませんが)
ある程度は一般化の作用が働くので(名指しの悪口や内輪ネタを避けるとか)
「未来の自分」というある意味「他人」が読んでも共感する(しかも基本的には同じ人間)ということではないかと。

…自分で書いてて思いましたが、孤独ですね。そして暇人。
さらに言うと、キモいですね。
「自分」のことばっかり考えてる「自分」大好き人間に見えると思います。実際にそれは否定できませんし。

でも私のように、家族も友達も恋人もおらず、職場以外のコミュニティに属さず、都会の雑踏にまぎれて一人暮らしている未婚の人間が、「自分」について考えない日なんて、あるんでしょうか。


そうそう、孤独といえば、こんな本を読みましたよ。

孤独の価値 (幻冬舎新書)

孤独の価値 (幻冬舎新書)



孤独に価値があるもないも、現に孤独なんだから仕方ないじゃんねえ。

ぐだぐだですが(笑)

以上はねゆきでした。

【マンガ】《第2の刃》を磨くことの大切さ~『暗殺教室』

土曜は、ほとんど部屋に引きこもって『暗殺教室』①~⑲を一気読みしていました。
面白かったですよ(*`・ω・)ゞ

暗殺教室 1 (ジャンプコミックス)

暗殺教室 1 (ジャンプコミックス)

さんざん流行って盛り上がって、もはや完結している作品。今更感がありますが、感想を書きます。


《勉強》をカッコよく描いた作品

あらすじは、ご存知の通り。
名門中学で落ちこぼれのレッテルを貼られ、隔離された3年E組の生徒たちの前に、触手をもった生物(殺せんせー)が現れます。彼は「1年間3年E組の担任を務めること」「1年後に地球を爆破すること」「防ぐ方法は、3年E組のメンバーが、1年の間に彼を暗殺するしかないこと」を宣言。
個性豊かな生徒たちが、殺せんせーとともに、暗殺・学業・学校行事に打ち込んでいく中で、成長していく姿を描きます。

暗殺×学園もの…という奇抜なテーマ、意外性・工夫の凝らされたページ運び、緻密に計算された設定と伏線…などなどマンガとしての完成度の高さもさることながら。
このマンガ独特のすごいところとしては、「《勉強》をすごくカッコよく描いている」ところではないでしょうか。

というのも、暗殺や訓練といったバトルシーンに負けず劣らず、試験対策や授業・勉強のシーンに紙幅が割かれていて、それがこのマンガ独特かつ楽しいところだなー、と私は思ったんですよね。というか、すごく教育にいいですよね(笑)
殺せんせーは生徒たちを暗殺者として鍛えていきますが、と同時に、勉強の重要性もすごく強調しています。


《第2の刃》を持つこと

象徴的なのが、《第2の刃》の話。
第2の刃を持たざるものに、
暗殺者の資格なし!
とかって2巻で出てきて、以降全編を通してキーワードのひとつになります。
つまり、暗殺という「第1の刃」が失敗しても人生が切り開けるように、武器になるものを複数磨いておきなさい…ということ。

また、この物語では「優れた暗殺者ほど万に通ずる」といって、オールラウンダーになることの重要性も描いているんですよね。
長所を伸ばして才能を発揮して生かす道もある。でも本当に卓越した者は、オールラウンドに何でも取り込んで、何でも出来るように努力するんだ…というメッセージ。

こういうことって、教育において本当に大切なことだと思うんです。
確かに、個性を発揮し、長所を伸ばし、必殺技を鍛えて一点突破していくヒーロー物は読んでいてスカッとします。実際の教育でも、長所を伸ばす重要性が説かれがちです。日本の教育は横並び主義だからダメなんだ…なんて議論もよく耳にしますね。

でも結局、長所の発揮・一点突破で人生切り開ける人なんてごくわずかですよね。
そのときには他の武器がなければならない。もっというなら、あまりに極端に苦手なことがあっても人生厳しくて、苦手なりに最低限の形になってないとまずい(もしくはそのカバー法を見つけてないとまずい)ってことが現実にあるじゃないですか。
もちろん個性はガンガン伸ばしていくんですが、こういうバランスを取るのも「教育」の重要な役割のひとつかなって。だから受験で選択する以外の科目もしっかり勉強しないといけないし、勉強も勉強以外のことも等しく挑戦しないといけない。

…というのも、自分が、一点突破に失敗した人間なので、その後悔もあって。一点突破を挑んで失敗したら、ほんとにアンバランスな、欠落の多い、生きづらーい人間になっちゃいますよ(笑)

とにかく《第2の刃》って考え方はほんとに大事。バランス大事。
長所・才能を伸ばして第1の刃を磨くことと、それが失敗したときのために第2第3の刃を磨いておくこと。また、苦手なことも最低限基礎は作っておくこと。そのバランス感覚が大切なのです。

いやぁこんなに《勉強すること》《学ぶこと》《教えること》の本質を捉えたマンガが、かつてジャンプにあったでしょうか。


もうひとつ引用して結びます。

そもそも人に何かを教えたいと欲する時
大きく分ければ理由は2つしかありません
自分の成功を伝えたい時か…自分の失敗を伝えたい時
これもほんとにそうだなー、と思うんです。
このマンガを読んでて、本当に、現職についてよかったと思いました。
なんだか教育欲の刺激されるマンガでした。

以上はねゆきでした。

【読書】『ひらめき教室 弱者のための仕事論』

こんな本を読みました。
人気漫画『暗殺教室』の作者と、世界的デザイナーの異色の対談です。

 

ひらめき教室 「弱者」のための仕事論 (集英社新書)

ひらめき教室 「弱者」のための仕事論 (集英社新書)

 

 ちなみに『暗殺教室』は、この本きっかけで初めて読んでみたのですが、面白くてすっかりハマってしまいました。


 抽象思考の話①

松井さんの発想法や、漫画を連載する上での構成法・考え方など、興味深いポイントがたくさんありました。

中でも、こんな会話。

 

佐藤 連載を続ける上で、何を重要視しています?
松井 おもしろさから目を逸らさないことですかね。自分の漫画を見るとき、「本当におもしろいのか?」と薄目で見るんです。まつ毛がブラインド状になるぐらいまで、薄目になる。
佐藤 ぼやっと見る感じ?
松井 そう、焦点をぼやかして見るんです。情報量が圧倒的に少なくなるので、それでもおもしろければ、まあおもしろいだろうと考える。
佐藤 あ、その説明を聞いて、ピンと来ました。僕もアイデアを考えるとき、焦点を絞ると周りがまったく見えなくなるので、なかなか見つからないんですよね。ふわっと見る方がおもしろいアイデアが転がっていたりする。

読んだその時には、特に何も心に引っかからず、付箋もしていなかったのですが、
たまたま次に読んだ本に、同じような話が出てきていて。


しっかりと見えているもの(ピントが合っているもの)を、わざと目を細め、ぼんやりと見てみよう。
そうすると、そこにあるものを抽象的に捉えることができる。知合いの人を見ているときでも、目を細めてみれば、もう誰なのかわからない。
ただ、ぼんやりと、一人の人間がそこにいるとしかわからない。ときには、そういったぼんやりとしたものの見方が必要になるのである。
森博嗣『人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか』)

 

先週末たまたま本屋で買った2冊の新書に、同じことが書いてあったので、少し驚きました。
意識して買ったわけでもないのに…。ただ、本を読んでいると、今の自分にとって必要なことがセンサーに引っかかりやすくなる、というのはあると思うので、「抽象思考」というのが今の自分にとってのキーワードなのかな、と漠然と思っていました。

そんな矢先に、交通事故に遭いました。(超展開ですね)


交通事故の話

仕事中、会社の車で移動していて、交通事故に遭いました。
見通しの悪い、信号のない交差点に入ったところ、右手からいきなり軽自動車が突っ込んできて…。
気づいた瞬間踏んだのですが、間に合わず。向こうもかわし切れず、こちらの自動車のフロントが相手車両の左側部に当たって、はねた形になり、相手の車は一回転して着地した…ように見えました。で、お互いにけがなし(会社の車が1台つぶれましたが)。
状況的には相手の一時停止無視なのですが、自分にも注意義務があるので10:0にはならず、あとは会社の保険屋さんにおまかせ、という話になっています。

お互いけががなかったことは不幸中の幸いでした。
ただ、事故に遭ったその夜と翌日は、今思えば、ぶわーっといろいろなことを考えました。一種の興奮状態だったんじゃないでしょうか。
まず、脳内で事故が起きたときの光景が鮮やかにリプレイされる。延々と、です。

いきなり右から車が来て、肉薄して、当たって、目の前を1回転する。
起きてしまった現実の、あの「取り返しのつかない」感は何なんでしょう。
もう起きなかったことにはできない…という、後悔とはまた違う、独特の感じ。
そのあとふつうに1コマやったのが自分でも驚くくらい、その日は疲れました…


抽象思考の話②

さて抽象思考の話に戻ります。
本の内容を受けて、「学び」とは≪事故や失敗といった具体的なことがらを「薄目で見て」抽象化し、適用範囲の広い教訓を得ること≫なのだな、と思いました。
その抽象思考が人を成長させるのですが、私が事故の後に感じた絶望感は、「自分は抽象化能力が低い」ということへの絶望感でもありました。
私は、人から見ると同じように見えるミスを延々と何度もする傾向にあります。私にとっては、一つ一つ原因が異なる、別の出来事なんですが…それはひとえに抽象化能力が低いせいでしょう。それを≪学習能力の欠如≫と人は呼びます。
仕事のミスでは死にませんが、交通事故では死にかねません。確かに今回、「見通しの悪い交差点での事故」は体験しましたが、これが抽象化できなければ、「サンキュー事故」、「巻き込み事故」、「車線変更時の事故」など、同じような(でも私にとっては一つ一つ異なる)事故を繰り返すでしょう。
事故にかぎらず、あらゆる危険に対して、当てはまります。そのうち死ぬぞ、生きていけないぞ…と思ってしまいました。

ですので、私も頑張って(生存をかけて)≪薄目で見る≫訓練をしてまいりたいと思います☆

最後に。信号のない交差点に進入する際には、細心の注意を払いましょう。。
私はいっそ、しばらくは、信号のない交差点が出現するような住宅街を通らないようにしたいと思います。怖かったので。

以上はねゆきでした

【高校英語参考書】フォレストを使って高校英文法の総復習

どもども。新学期が始まってほっと一息、ブログも久々の更新です。

4月になってここ最近、猛烈に英語を勉強しています。
しかもTOEICとかじゃなくて、高校英語。

訳あって、近日中に、高校英語をかなり高水準に仕上げなければなりません。
文法からしてあらかた忘れているので、いろいろ検討した末、まずは平易そうな参考書を通読して輪郭をつかむことにしました。

何でもいいんですが、とりあえずこれ買ってみました。定番。

総合英語Forest 7th Edition

総合英語Forest 7th Edition


1章が3レベル設定になっていて、レベル1では導入、レベル2では基本知識、レベル3でやや発展的な内容…と徐々に理解を深めていけるのがよいです。
大枠の導入であるレベル1から、やや細かい内容もあるレベル3まで、ストーリー(説明)に一貫性があり、螺旋階段を降りるように、無理なく進んでいけます。
私の場合、3日間くらいで読めました(後半の品詞の講はキツかったですけどね!)。

高校1年で一通り英文法をやったあと、整理のために通読…ということであれば、同じくらいのスピードで読破できるのではないでしょうか。
もちろん高1で、文法初見でも全然使えます。たぶん。


同時並行でこれもやっています。

総合英語Forest(7th Edition)解いてトレーニング

総合英語Forest(7th Edition)解いてトレーニング


やっぱり参考書を読んだだけではだめですよね。「分かったつもり」になっちゃう。
問題をやって知識の使い方を学習&定着、苦手部分は周回。これ暗記科目の鉄則です。

ただこの問題集じだいは、ちょっと簡単すぎるかなー…という感じです。フォレストを読んだ後にこれをやると、8~9割できてしまいます。
ただ「問題集はあえて8割できるものを選んで、知識の確認+できない2割を周回して積む勉強をし、徐々にレベルを上げていくものだ」って何かで読んだ気もします。たしかにスキマ時間用の問題集で、ちんぷんかんぷんのまま進んでも実りがないですよね。
できないものが2割3割しかないなら周回もすぐできるし、いい感じ。勉強のモチベーションも下がらないし。他にもいろいろあってお疲れの頭に叩き込まなきゃいけない高1高2生(と社会人)には特に。

…ただ、勉強って、たまにちょっぴり負荷をかけないと進歩が緩まるんですよねぇ。この問題集はあんまり負荷にはなりません。
バランスが課題ですね。


今日のまとめ
□フォレストは3日で通読する!
□並行で問題集をやって、「分かったつもり」を排除!
□スキマ時間用の問題集(見開きで問題と答えがすぐ確認できるもの)は、あえて8割できるものを選んで、知識の確認+できない2割を周回で定着!

…私は職業柄、効果的な勉強方法について考えたり、人にアドバイスすることも多いんですけれど…そのくせ最近では、自分自身が何かを勉強する機会は減っていたように思います。
自分で試行錯誤をして、勉強法を工夫していくのは楽しいですね!
やっぱり自分自身がちゃんと勉強しないと。自分自身が成長を続けなければ、人に教える資格はないなぁ、と思う今日この頃なのでした。

以上はねゆきでした。

【読書】「ザ・ワーク」/「人間は自分が考えているような人間になる」

最近読んだ本の話をしたいのです。

なぁなぁなんですけれど、してもいいでしょうか(笑)


『ザ・ワーク』

まずはこちら。『ザ・ワーク』です。

ザ・ワーク 人生を変える4つの質問

ザ・ワーク 人生を変える4つの質問

この本の前提は「起きていることはすべて正しい」ということ。
つらさ・苦しさ・悪感情などをもたらすのは、あくまでも現実ではなく、誤った認識・考え方であるとし、「誤った考え」を手放すための方策を述べた本です。

自己啓発書を読んでいると、「起きていることはすべて正しい」「悩みや苦しみなどは、現実そのものではなく現実に対する認識から生まれる」という考え方がたびたび出てきますよね。

たとえば、

「私たちは自分の身に起こったことで傷つくのではない。その出来事に対する自分の反応によって傷つくのである。もちろん、肉体的に傷ついたり、経済的な損害を被ったりして、つらい思いをすることもあるだろう。しかしその出来事が、私たちの人格、私たちの基礎をなすアイデンティティまでも傷つけるのを許してはいけない」(『7つの法則』)
「人は誰しも、客観的な世界に住んでいるのではなく、自らが意味づけをほどこした主観的な世界に住んでいます。」
(『嫌われる勇気』)

などなど。

言い回しは異なりますが、自分の外側で起こった事象に対して、どう受け止めるか、どのように考えるかは自分の自由である、という考え方です。
実際に起きた出来事(現実)と、それに対して自分がどう受け止めるか(認識・思考)の間には距離があり、我々は自分でどう認識するか選択できる…というような言い方がされるときもありますね。

道路の渋滞ひとつとっても、イライラすればbadな出来事になってしまうけれど、「この機会にゆっくり考えでも整理しよう」と思えればgoodな出来事になる、とか。
あとは、同僚が嫌味だからむかつくんじゃなくて、自分が嫌味と受け止めるから(それだけの劣等感を抱いているから)むかつくんだ、とか。

だから(身もふたもないけど、ざっくり言うと)「気の持ちよう」ですよー、っていうことが、自己啓発書にはよく書いてあります。そんな気がします。

(個人的には、こういう考え方に救われた部分はだいぶあります。上司が怒り散らすのは上司の反応であり、私がそれにどう反応するかは私の自由である…とか。

ただし受け入れることと拒絶することの見極めをしっかりコントロールできないと悪い方向に流れてしまいますが…)

さてそんな類書の山の中で、『ザ・ワーク』の特徴は、
①「起きていること(現実)が正しい。現実と闘う(相反する)思考は誤っている」という考え方を非常に強く打ち出していること
②「誤った考え」を手放すための具体的な方法(自問自答する「4つの質問」と「置き換え」のワーク)を提示していること
でしょうか。

②の「4つの質問」と「置き換え」のワークについては、本を読んでいただくとして…。

たとえば、
「夫はもっとダイエットすべきだ」という考えを持ち、ダイエットしない夫を見ているとイライラする、という奥さんがいたとします。
「夫はダイエットしていない」というのが本当(現実)なので、この本の考えでは「ダイエットすべきだ」という考えは「本当ではない」。
また、「夫はダイエットすべきだ」と考えないようにすれば、どんな利益があるか(イライラしないで済む)考えれば、おのずと夫にダイエットを強要する考えを手放す結論に至る…
とまぁ、こんな感じのことが書いてありました。

と、ここまで書くと、まるで私がオススメしているみたいですけれど、別にオススメしてません。こんなことが書いてあったよ、という紹介です。
逆に途中でいやになっちゃって、読むのをやめてしまったくらいです←


ざっくり言うと、この本の主張は「現実と相克する考え(たとえば、言うことを聞かない子どもに対して「言うことを聞くべきだ」と考える、など)を抱いても、
悪いことばかりで利益もないし意味ないので、手放しましょう」ということです。
確かに超合理的な考え方ですけれど、人間てもう少しウェットなものだと思いません?そんなに常に、利益と目的に対して最短距離で進むものですかね?

前提を覆す発言になりますけれど、「利益にならず、むしろ害悪になって、意味のないもの」はすべて、捨ててしまっていいものなんでしょうか。

自分に関して言えば、「そんなこと考えたって意味がない」って切り捨てていくのは、仕事の面だけで十分で、より個人的な面では、弱くて、ぐちゃぐちゃして、邪悪で、混乱した、意味のないものを、何だかんだで結局愛しているような気がしてなりません。

それが自分を人間たらしめているのであって、利益にならないとか、意味がないとか、そんな理由で取捨選択をしていくことは、人間味に欠けるような気がしてしまうのですが…
そうか、みんな人間ではなく機械を目指しているのかもしれませんね。コミュニケーション・マシーン。make the world better。

…まぁ全然支離滅裂で反論になっておりません。おそらく個人の性格の問題なのでしょう。
とにかく私はこの本が好きではありませんでした。

 

『人間は自分が考えているような人間になる』

次に読んだのはこちら。

この本は、その題名の通り、「思考が現実になる」という考え方を前提にしていて、これも自己啓発書に多く見られる考え方です。
引き寄せの法則、とか、ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」とか、そうですよね。

この本には「人間は自分が考えているような人間になる」とか、「人間は人の役に立つために生きている」とか、「報酬は人に奉仕した代償である」とか、名言がたくさんちりばめられています。

受け入れがたい現実に対し折り合いをつけるというよりは果敢に立ち向かっていくための教えであり、どちらかというと『ザ・ワーク』よりもやる気の出る内容ではありました。

かといってこの本も別にオススメではありません←

翻訳もの(made in America)の自己啓発書に多く見られる欠点なんですが、冗長っていうか、経歴自慢が長いっていうか…。

あと、勝手に一部分を太字にするのをやめてほしいですよね。なんかねー、私だけかもしれないですが、「ほっとけ」って思っちゃいますね。

***

さて今日は結局、「別にオススメじゃないけど、最近読んだ本について」というなぁなぁな記事になってしまいました。
それにしても、オススメ本と同じくらい、「納得できない本」について語りたくなってしまうのは私だけでしょうか。
しかも知人(あまり読書しない)に「面白くてオススメの本の話」は世間話としてかろうじてできても、「面白くなかった納得いかない本の話」はさすがにできないので、この「話したさ」は出口を求めて右往左往するのでありました。

よくよく考えれば、さっきの本では「現実が正しく、現実と相克する思考は正しくない」と言っていて、こっちの本では「思考が現実のものになる」「思考によって運命を切り開いていく」と言っていて、いろんな考え方があって面白いですね。

とにかく人間は、受け入れがたい現実に対してどのように振る舞うかを、有史以来延々と模索してきたわけですよね。
自己啓発書・ビジネス書はいろんな人生観・世界観を直接的に教えてくれるところが面白いです。


以上はねゆきでした。