はねゆきノート

片づけノート/お仕事ノート/読書ノート/その他もろもろ

【読書】汝の欲するものを与えよ~『不機嫌な職場』読書ログ

先日、ガラスのハートの新人くんが休業申請を出していました。
おー。潰れるの、早っ!
何の説得をされたか知らないが、撤回もめちゃめちゃ早くて。
なんだ。愚痴を聞いて慰めてもらって「そっか、大変だね」って言ってほしいだけなんだ…って。

ということで、『不機嫌な職場』読みました。前々から気になっていたんですう。

不機嫌な職場~なぜ社員同士で協力できないのか (講談社現代新書)

不機嫌な職場~なぜ社員同士で協力できないのか (講談社現代新書)


お互い協力行動を取らず、ぎすぎすした職場が増えている。
かつての日本企業の終身雇用制においては、仕事の範囲が曖昧で、成果にならないはざまの仕事もお互い手を伸ばし合っていた。しかし成果主義が導入されたことで仕事の範囲と要求が限定され、成果としてみなされないことはしないというスタンスの社員が増えた。

といった要旨でした。

日本企業においては、従来「束ねる」ことは、社員の相互協力関係により特に意識をしなくても機能をしてきた。そのため、「仕事の定義」や「専門性の深化」への意識は高まったものの、「束ねる」ことについての意識は希薄であった。その面での弊害があらわれてきたのである。
その弊害とは具体的には、従来であれば社員間の協力行動で難なく解決できた問題が、組織として対応できず、その結果、顧客対応や品質管理でのトラブルが顕著になってきたことである。(中略)
「以前だったら、誰かが対応して問題は起きなかった」ようなトラブルが頻発するようになったのだ。

…全体として、せやなぁ、と思いました。
うちの会社の場合、どれだけ残業・休日出勤しても1円もつきません。みんな絶対に休みは出たくないので、他人の仕事に協力するような気持ちの余裕はなくなります。

先の新人くんの件にしても、新人くんにはもちろんキャパも余裕もないし、周りのみんなにもそんな余裕はないんです。
さらに言えば、自分は不当に負荷をかけられていると思ってる。だから、誰かが詰まっていても助けないんです。助ける=余裕がある=自分の負荷は大して多くないと認めることになる、から。そんなの誰も認めないでしょう。

うちの職場はそういう感じなので「成果主義」云々の話はあまり関係ないのですが、「自分の仕事」を限定してそれしかしない、お互いのあいだを埋める仕事をするような余裕がない、という構造は共通です。ですから、本全体の主旨には「せやなぁ」という感じ。

でも、実際には、「誰の仕事でもない仕事」がごろごろしてるんです、現場には。
だいたいちょっと面倒なことで、しかも誰の仕事でもないから、やっても誰にも感謝されないし、「当たり前」のような顔をされる。
さらに最悪なのは、1度仏心を出して拾ってしまうと、あたかも最初から私の仕事だったかのように扱われ、次回以降は「何でやらないんだ」くらいな勢いで言われる、という。


さて、そんな職場で協力関係を築くにはどうしたらいいのでしょうか。
まず、この本ではサイバーエージェントやグーグルの紹介がされていました。
ああ…うちのような会社でグーグルやらアップルやらにかぶれてしまうと、しょせんライトでポジティブな自己犠牲が増大するのが関の山。くわばらくわばら。

この本の中では、「感謝」と「認知」の話がいいなぁ、と思いました。
つまり、「ありがとう」と「すごいね」をいっぱい言おう、ということ。

自分が行ったことに対して、手ごたえを感じると人は嬉しいものである。自分の行為に対して効力感を得て、喜びを享受できた人間は、自分の行為に自信を持ち、さらに能動的に他者に対して働きかけていくようになる。

人は多様である。いろいろな良いところを持っている。その良いところを認めてもらって嬉しくないはずがない。自分を認知してくれる、個人、組織、社会に対して、自分が何か貢献できないか、という前向きな感情を持つ。

それはすごく同意できるな、と。
何が一番ムカつくって、休日に仕事入れられて1時間もつかないのもムカつくけど、「それが当たり前」という顔をされることです。
誰かの休みを削らないといけないような体制を組んでおいて、「仕方ないんだから文句を言うな」とでも言わんばかりの態度だからますます文句を言いたくなるのです。そこを、「悪いけど行ってくれないか」とか「ありがとう、助かったよ」とか言ってくれれば、嬉しいものなのに…
きっとそんなことを言ったら、時間をつけなきゃいけなくなると思っているのでしょう。心理戦をして、駆け引きしたつもりになっているんです。違うんだけど。
いや、自戒自戒。

人にはやさしく。してもらったら「ありがとう」。がんばってる人には「すごいね」。
当たり前のようなことですが、結構大変です。人間は、自分がやさしくされてないと思っていると人にもやさしくできないものだから。でも、お互いにそうなので、まずは自分から人にやさしくしないと、自分がやさしくしてもらえる日は一生来ないのです。感謝も認知も同様です。
汝の欲するものを与えよ。

以上はねゆきでした。