はねゆきノート

片づけノート/お仕事ノート/読書ノート/その他もろもろ

自分を変えることができないのは、人間関係を勝ち負けで捉えているから

月間100PVを記念(?)して、新しくカテゴリを作ってみました。
その名も「自分を変えるノート」。
自分を変えることは本当に難しいことです。少なくとも私は、それでかなり困ったことになっています(笑)
今回は、「自分を変えられない原因」について、考えたことを書いてみました。


人間関係の捉え方が病気

この前、上司に「お前は恥ずかしい人間だ!病気だ!」と罵倒された話を、比較的やさしい他の同僚に語ったところ、
「…あなたは自分で自分が病気だと思わないの?」と言われました。

ええっ
な、なんかみんな総じて私のことを病気だと思ってんの…?共通見解なのかそれは。

それにしても、答えづらい質問です。
私としては「はい、病気です」って言えばいいのか、「いや、病気なんかじゃありません」と言えばいいのか、どっちなんでしょうか。(そこかよ)

たぶん、相手は、こういう展開を希望しているのだと思うんです。

私「いや、病気なんかじゃありません!」
相手「でも実際に~~してるじゃない?これを改善しないと病気と言われても仕方ないんじゃないの?」
私「分かりました…改善していきます(病気じゃないと証明するために)」

…つまり私を罵倒する人は、それによって私を変えたいと思っているのです。
見方によってはとてもやさしい。
でも残念ながら、そういった展開にはなりません。
それは私が〈病気〉だからです。

〈そんなふうに言われて相手の掌で転がされて、思い通りになると思われるくらいだったら、「自分は病気だ」と認めた方がマシと思っている〉という意味で、病的。

たぶん、人間関係の捉え方が病気なの。


〈敵〉の思い通りにはなりたくない

人間関係を〈敵〉〈味方〉、〈勝ち〉〈負け〉で捉えてしまう。これが「素直になれない」「変われない」最大の原因ではないかと思っています。

まず、「お前は病気だな」と言ってくる時点でその他人は〈敵〉です。
だって暴言じゃん。攻撃じゃん。
そう思ってしまうことはなんというか、止めることが難しいです。瞬間的に沸騰しますので。
「あの人は私のために厳しいことを言ってくれていて」。そりゃ理性では分かっても、感情がついていかないんです。
(そもそも理性などというものはあまりないように思う。感情で動くからなぁ)

とにかく〈敵〉の思い通りにはなれません。
思い通りになったら、〈敵〉の〈勝ち〉で、私の〈負け〉だから。
それが嫌だから、「どうせ私はご立派な皆さんと違って病気ですよ」的な反応になるわけです(笑)

問題は、〈敵〉の思い通りにならないようにするという選択が、私にとって全然利益にならないってことなんです。
「改めなさい」という助言に従うことを〈負け〉と捉えて、意固地になって「改めない」から、どんどん悪くなっていく。
「こいつは思い通りにならない、という印象を相手に与える」という一点においては成果(?)を収めていますが…。
私としても本当は改めないと、こんな状況がこれ以上続いたら消耗するし困るんです。転職して環境を変えたところで、自分がこのままだったらきっと同じような壁にぶち当たると思います。
けれど、「病気だ」なんて言われてしゅんとして改めていたら、負けを認めることになってしまう。相手は「俺の思い通りになった」「俺が変えてやった」と思うにちがいない。
本当にそんなふうに人を心の隅々まで掌握して、コントロールできると思っているのか。どれだけばかだと思っているのか。腹立たしいこと限りない…。(沸騰)


つまり、助言に従って自分を変えること・改めることが利益になる・正しい選択であると重々分かっているにも関わらず、人間関係を勝ち負けで捉えているがために、その選択肢がとれないんです。
「自分を変える」と〈負け〉になる。

なんかアホみたいな話になってきましたね。

自分を変えられないのは、人間関係を勝ち負けで捉えているから。
それが今回の結論です。

この問題の解決方法については、また今度考えてみたいと思います。
今回は、ある本の一節を引いてまとめにかえたいと思います。

そもそも主張の正しさは、勝ち負けとは関係ありません。あなたが正しいと思うのなら、他の人がどんな意見であれ、そこで完結するべき話です。ところが、多くの人は権力争いに突入し、他者を屈服させようとする。だからこそ、「自分の誤りを認めること」を、そのまま「負けを認めること」と考えてしまうわけです。
負けたくないとの一心から自らの誤りを認めようとせず、結果的に誤った道を選んでしまう。誤りを認めること、謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りること、これらはいずれも「負け」ではありません。
優越性の追求とは、他者との競争によっておこなうものではないのです。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

この本すごく勉強になります。

以上はねゆきでした。