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はねゆきノート

片づけノート/お仕事ノート/読書ノート/その他もろもろ

【読書】佐藤優『知性とは何か』

読書ノート
佐藤優『知性とは何か』を読みました。

知性とは何か(祥伝社新書)

知性とは何か(祥伝社新書)

日本を蝕む「反知性主義」に警鐘を鳴らし、それに負けない強靭な知性を身につける方法を伝授する…という本です。

まずこの本のキーワード「反知性主義」の定義を確認しておくと、「実証性と客観性を軽視もしくは無視して、自分が欲するように世界を理解する態度」とのこと。
日本の政治・国際情勢の諸問題における反知性主義の蔓延を浮き彫りにしています。


どうして読もうと思ったか

単純に、佐藤優さんの本が面白いから…というのもありますが、やっぱり「反知性主義」というキーワードが引っ掛かったんだと思うんですよね。
もっというなら、自分には《実証性と客観性》が足りないと思う。《自分が欲するように世界を理解する》ドグマに陥っており、自己認識と他者認識が著しくずれ、その矛盾に激しいフラストレーションを感じる…というか。
自分の中に、《他者や世界を自分が欲するように曲解してしまう》歪みを感じ、それが悪感情を生んだり状況を悪くしたりするので、かなり心を痛め、疲れているわけです。そうした歪みは、脆弱だと思うし、かつ「弱いから仕方ない」という言い訳が許されないほど邪悪だなと思います。
なので最近、自分の中の反知性的な歪みを正す処方箋を求めている節がありますです。


反知性主義を克服するには

結局、どうすれば反知性主義を克服できるんだろう?と思いながら各論を読み進めていったのですが、あとがきにあっさりと答えが書いてありました。長いのですが、引用します。

第一は、自らが置かれた社会的状況を、できる限り客観的にとらえ、それを言語化することだ。自分の考えていることをノート、PC、スマートフォンなどに記録する習慣を身につけよう。
第二は、他人の気持ちになって考える訓練をすることである。
第三は、LINEなどのSNSを用いた「話し言葉」的な思考ではなく、頭の中で自分の考えた事柄を吟味してから発信する「書き言葉」的思考を身につけることだ。
(中略)
このような知性を強化する作業を継続することによって、信頼、希望、愛など「目には見えないが、確実に存在する事柄」をつかむことができるようななれば、もはや反知性主義を恐れる必要はなくなる。

結局「日々訓練」ということですね。身も蓋もありません。
特に「他人の気持ちになって考える」なんて本当に身も蓋もないですね。同じ著者の他の本で「相手の内在的論理を知る」ということをよく記していますが、それに通ずると思いました。

結論としてまとめてしまうと上のようなあっさりしたことですが、この本のエッセンスはむしろ、著者ならではの各論の分析の鋭さや興味深いエピソードの数々だと感じました。ぜひご一読いただければと思います。


相手の内在的論理を知るために

では「相手の内在的論理を知る」ためには、具体的にはどうすればいいのでしょうか。
私が著者の本を何冊か読み、自分の特性も合わせて自分なりに考えてやっていること(というか前々からやっていたけれど、特に意識するようになったこと)は、「相手の特徴的語彙を捉える」ということです。
人には必ず特徴的な語彙があります。それはその人の世界観や、人間観や、ビジネス上のドクトリンを示唆するので、それを捉えて分析することでその人の人となりに迫ることができる…と私は思います。
語彙、というか、何かを抽象的なことがらを伝えるときにどのような言葉を遣うか、というか、上手く言えないけど言葉には本当に個性が出るのです。
たとえば新しい上司の特徴的語彙は「腰が引けている」「王者として対応しろ」というもので、営業面で消極的発想を好まず、積極性を称揚します。理想主義的とも言えます。

そして、特徴的語彙を捉えたら、できる限り同じ語彙・論理で話すこと。逆に嫌なやつの(笑)語彙がうつらないように気をつけること。
会社の偉い人は、さらに偉い人の「特徴的語彙」を捉え、同じ語彙を使用することで思考を同化させている…と気づきました。語彙分析で、どの上司がどの役員の影響を受けたのかだいたい分かります(笑)ずいぶん特徴的な語彙だなぁと思っていると、もっと偉い上司が同じような語彙で話していて、なるほどなと思ったりもします。
能力が高く重要なポジションにある人ほど、自分の上司との語彙の同化率が高いので、嫌いな上司の口癖を無意識に使っていたりします。たとえば自分が罵倒された言葉でもって部下を罵倒する等々。頭が良いのは悲しいことでもあるのです。
また、部下の立場にある人でも、頭の良い人ほど無意識に上司の癖を真似してしまいます。口癖くらいならまだしも、舌をべろりと出す癖などが、おっさん上司からイケメン青年にうつってしまったのを見ると、なんかグロテスクだなぁと思ってしまいますですハイ。

話がずれました。
ただ、他人は観察できても、自分だけはなかなか客観的に見られません。
そのせいか、観察してどんな人間か分かっているにも関わらず、地雷を踏むことが避けられません(!)
これは驚愕的でしょう、語彙から背景や人生観を類推できるくせになぜ地雷を踏むのか。
つまり、それとこれとは関係ないのです(笑)
私はよく「人を怒らせる天才だね」と言われます。たぶん人を怒らせないようにしようというおこころが足りないんだと思います。ガードがゆるゆるなのです。気を付けたいです。
まぁ、今後の課題だなぁと思っています。

以上はねゆきでした。

ゴールデンウィークに読んだ本など

読書ノート
ゴールデンウィークもあとわずか。
何をしていたか、というと、わりとだらだらしていました。
毎日のように昼寝していました。午後を通して起きていたのは、移動日と5/1の2日間だけだったという(笑)
夜は本を読んでいました。1日1冊くらいのペース。佐藤優さんの本に影響されて、概ね世界史・国際情勢に関する本を読んでいました。
いや、最初は佐藤優さん繋がりというか、面白かったからもう1冊、という軽い気持ちだったんですけどね。
これが最後の100ページくらい分かんなかったんですよ、全然。
それでちょっと危機感を感じて、関連しそうな本を読み漁っていました。
世界史やら、国際情勢やら、政治関係やらの新書を山積みにして読み耽っているので、母に「どこに向かっているのかなー?」と聞かれる始末(笑)
次はこれ。

集団的自衛権って、漠然と、「自衛隊が海外に行って戦争ができるようにする法案」だと思っていたのですが…実質この閣議決定によって、自衛隊の海外派兵のハードルが上がったとのこと。
いろんな見方があるのですね。


これは分かりやすかった。

世界のしくみが見える世界史講義 (Knock‐the‐Knowing)

世界のしくみが見える世界史講義 (Knock‐the‐Knowing)

用語はほとんど出てこず、地域別の歴史をストーリーとして理解しやすいです。何百年分の歴史をだーっと読んで、最後はちゃんと現代の国際情勢や問題に着地します。
これを読んだあとのこれ

世界史の極意 (NHK出版新書 451)

世界史の極意 (NHK出版新書 451)

は、難しかったとはいえ、半分くらいは理解できたと思います。やれやれ。


世界史を勉強したくなるわけ

たぶんコンプレックスだと思うんですよね。
高校で世界史Bは履修したのですが、センターも二次も日本史選択だったので、真面目にやってなかったんです。
というかノートも取らずにずっと寝ていました(!)
結果、ざっくり言うと「ローマ帝国が崩壊→→戦争→今に至る」みたいな惨憺たる状態(決してローマ史ならできる、というわけではありません。そこにローマがあったことは知ってる、というレベルです)で高校を卒業。
そのあと触れていないのです。
それでコンプレックスなんだと思います。

今回ちょっと本を読んだので、「ローマ帝国が崩壊したあと神聖ローマ帝国が出てくる」ということが分かりました(笑)
あとは、繰り返し出てきたので、イスラム教のスンニ派とシーア派の違いも分かりました。
いやもちろん他にもいろいろ勉強になりましたけど。資本主義の話とか。

いくらなんでも、あと20冊くらい読んだら世界史もだいぶ分かるんじゃないかなと思います。
だいたい、未知の領域って、最初は書いてあることの3割くらいしか分からなくても、とりあえず我慢して10~20冊読むうちには要点が分かってくるものではないか、と。
ただやっぱり散逸的になってしまうので、どこかで頑張って通史を通読する必要性を感じます。
なのでさしあたり『詳説 世界史B』(高校教科書)を通読するのが目標なのですが、今のままでは「オリエント」で爆死するので(早っ!)、もう少し段階を踏んでからと思っています。ところで、


今さらそれを勉強して、どこに辿り着くのか

それな←
何の役に立つって、たぶん実生活の役には立たないんですよ。私ごときこっぱ会社員、グローバル社会を丁々発止で生き抜く教養も知恵も必要ありません。
そもそもキリスト教史を教養として必要とするビジネスパーソンが全体の何割いますかって。少なくとも私の三等親と、その職場にはいませんね(笑)

でも1つだけ信じていることがあります。
「知は力なり」です。

直接実生活に役立つ必要はありません。
知っていることの広さ深さによって、世界認識と人間理解が変わります。
それらが変われば人生が豊かになります。たぶん。
読書と一緒です。

でも今後かいしゃが始まって毎日働かなきゃなのに、英語も世界史も勉強できるかっていうと、難しいかもしれませんね。
まぁいいか。それはそれ。

以上はねゆきでした。



【読書】佐藤優『人に強くなる極意』

読書ノート

ゴールデンウィーク、まったりしています。勉強を(ちょっとだけ)して、あとは昼寝をしたり、本を読んだり。
今日も半日昼寝してしまったなぁ…ちょっと勿体ない感じがしますね。

今日はこんな本を読みました。

 

著者は元外交官。対ロシア外交、北方領土問題に携わって最前線で活躍していましたが、鈴木宗男議員の事件の際、特捜部によって逮捕・起訴され、512日間拘置所に勾留、失職。その後ノンフィクション作家になった異色の経歴の持ち主です。

最近本屋さんでよく見かける気がして、気にはなっていたんですよねぇ。


いろいろと印象深い話はあったのですけれど、

もし皆さんの周りにびびってしまう相手がいたら、そんな時ほど相手をよく見ることです。怖がって目をそらしたり無視することが一番いけない。そうすると相手が見えなくなり、見えなくなるからこそますます恐怖感が大きくなる。

確かにそうだな、と思いました。そして面白いのがここから。

特に特捜の常識として「官僚、商社マン、銀行員、大企業社員といったエリートは徹底的に怒鳴りつけ、プライドを傷つけると供述をとりやすい」というのがあるそうです。
エリートほど落とすのは簡単だと。「お前は社会のクズだ!」「犯罪者だ!」などとなじられると、彼らはこれまでそんな体験はないですから、一気にそれまでの自信を失って検事のいいなりになるそうです。特捜ではこれを「相手を自動販売機にする」と表現します。

…本当かどうか分かりませんが、こんな体験談、他の本にはないですよね(当たり前ですけど)。
しかもそういう脅しに対しても著者は屈せず、相手の人となりをよく観察して、乗り切った…という話が続くわけです。
私は純粋にものすごいと思ったし、面白いと思いました。

こういう、ずば抜けた人・修羅場をくぐった人の話って、本当に面白いですよね。本を読んでいても臨場感があるというか、その場で話を聞いているかのように迫力があって。
たとえば、日常の些細な油断が命取り。1枚のファックス忘れが外交問題に発展するし、ちょっとしたミスが組織に足元をすくわれる原因になるんだ…といった趣旨の話が何度も出てきました。エリツィン元大統領のサウナ政治の話とか、いちいちスケールが大きいんです。不謹慎ですが、どんな修羅場なんだよ!ってツッコミたくなります(笑)
著者も、人生の「代理体験」としての読書を推奨していますが、こんな修羅場はふつうの会社員では踏めません(踏みたくもありませんが)。こういう、質の違う人生の話を読めるのは面白いなと思いました。

引用の前後、脅されても怒鳴りつけられてもびびらず、相手をじっと観察して、「相手の内在的論理を知る」(=相手の価値観がどのようなもので、どんな意図と論理で行動しているのか見極める)ことが大切だ、というメッセージが印象に残りました。

 

私自身は「怒られても怒られても折れずに立ち向かうガッツだけはすごいよな」などと褒められるタイプです(それはたぶん褒められていないが、他に特に褒められることはないので)。
裏を返せば怒鳴られ役であり、怒鳴られずに大切にされるタイプや、ソツなくこなしたり成果を出したりしてそもそも怒鳴られないタイプの人が羨ましいなぁ…とも思います。

今後は怒鳴られついでに「相手の内在的論理を知る」ということを意識し、これを新たな強みとして磨いていきたいと思いました。
(余計怒られそうですけどね)

以上はねゆきでした。

【読書】内田樹、光岡英稔『生存教室 ディストピアを生き抜くために』

読書ノート

本日から、ゴールデンウィークに入りました。
うちの会社の「正月」とも揶揄される、1年で唯一の大型連休。
1週間まるっとお休みのため、とりあえず実家に帰ってきました。
ノープランですが、本を読んだり、英語の勉強をしたりしながらゆっくり過ごそうと思います。


さて、移動中にこんな本を読みました。

 

生存教室 ディストピアを生き抜くために (集英社新書)

生存教室 ディストピアを生き抜くために (集英社新書)

 

 思想家にして武道家の内田先生と、各界から大注目の武術家・光岡先生の対談本です。
暗殺教室』を入口に、「現代社会をサバイブする」というテーマで繰り広げられる「身体論」「教育論」が対談の中心でした。


特に「ここ1~2世代で日本人の身体(身体観)が大きく変化した」「古い世代の武術が前提としていた身体性のアベレージが変わってしまい、成立しなくなった武術もある」といった話題が印象的でした。
明治初期の米俵1俵が60キロだったそうですが、なぜ60キロになったかというと「誰にとっても肩に担げる持ち運びやすい重さだから」(!)実際、米俵5俵を担ぐ農婦の写真なども出てきます。今では考えられないことですが、それぐらい、身体も身体観も変わってしまった。「同時代のみんなが、これくらいできる」という平均的な身体能力の前提が変わってしまった…っていう話なんですよね。

特に、椅子の上で過ごす時間が長くなったことで、足腰が弱ってしまった…と光岡先生は述べています。


デスクワークには足腰や肚は関係ありません。動かしているのは胸から上だけです。古の時代では普通にあった身体を失っているし、無論足腰や肚は感じられない。とはいっても、やはり生きているわけですから、なにか身体っぽいものがあるのはわかるけれど、それに対してはアクセスする術がわからず、一切無力という感じにしかならない。自分が幽霊のように足腰のない状態になっています。

 

自分が生きて行く上で欠かせない足腰が抜けているから自信も持てず、自身の身体が観えていないゆえに現代人は頭しか使えなくなっています。身体を動かすことなく頭の中だけで辻褄を合わせようとして、他人の意見と自分の意見のすみ分けもできず、他人から得た情報を自らの経験を通さず自分の意見であるかのように勘違いする。他人の言葉で語り、それを自分だと錯覚する。
生きるとはまずは自分一人で現実に向き合えるかどうかが大前提のはずです。


…耳が痛いお言葉。
自分もふだん、頭でっかちだなぁと思うことが多々あるんですよね。
ふと人に向かって口に出した瞬間に、浅はかさ(地に足がついていなさ加減)がわかるような考えや感情、というんでしょうか…
そういうのは、ふだん孤独で、夜や朝、悶々と一人で考えてしまうから、一人よがりだというのもあるし。
一方で、身体をまったく動かさず、頭の中だけで考えたことだから…というのもあると思うんです。
考えたことや思ったことや、もっといえば愛したこと、憎しんだことすべて、地に足がついていなくてバーチャルな感じ。それでも、ちょっと身体を動かして、身体的な苦しみを実感として味わうと、小さな悩みや現実的でない苦しみは吹っ飛ぶ…ということはあると思います。ですから、日ごろ運動をしたり、鍛えたりして、身体性にアクセスする習慣を持っている人が羨ましいです。

 

いやぁ、運動したいなぁ。
以前ホットヨガをかじったこともあるのですが、あまりにできなくて浮いていて(笑)周りの目が気になったので、続かなかったんですよね…
あれもほぼほぼシティガールのファッションと化していますからね。そんなじゃなくてちょっと身体を動かす習慣が身につくような趣味があるといいんですが。


教育論も示唆的でした。

自分で生きていく力を自身の中に見つけることが大切であり、言い換えれば教育とは学ぶ人が有無を言わせない自信をもてるように促すわけですが、それはあくまで本人の中で感覚として得られるもので、強いることはできません。

 

個性に焦点化するというのは教育においてまちがいなくもっとも効率的ですね。


さてさて教育業にかかわって5年目、本当に一人一人を伸ばす指導ができるのか?
個性に焦点化し、長所を伸ばし、苦手は「手入れ」して、自信を持たせられるよう、今年度も頑張ります。

以上はねゆきでした。

 

【勉強法】暗記系問題集、一巡めは一気に叩く

高校英語参考書ソムリエ
フォレスト問題集を一巡しました。

総合英語Forest(7th Edition)解いてトレーニング

総合英語Forest(7th Edition)解いてトレーニング


序盤の講はスムーズだったのですが…中盤もたつきました。
これは、問題集あるある、というか。
「毎日コツコツやるぞ!」と決めて取り組むと、序盤の方はけっこう一生懸命やるんですが、中盤もたれて投げちゃうんですよね。毎日やっていると、他にも優先順位の高いことがあったりとかして。
で、しばらく触ってなくて、また気を取り直して最初から始めるんですが、結局は中盤で投げ出す、の繰り返し…なんてこと、けっこうありますよね。
だから文法も単語も、序盤は記憶が強化されていて、よくできるけれど、中盤終盤ぐだぐだだったり…歴史も、平安時代までは完璧だけど、戦後はあやふやだったり…

で、考えたんですが。
中盤もたれてきたら毎日コツコツやってる場合ではないな、と。
自転車だって、登り坂は立ち漕ぎしてエネルギーを使って一気に上がりますよね。と同様、コツコツ系の勉強においても、峠は一気に越えないと、一生ゴールにたどり着けないのではないか…と。

単に私が「毎日コツコツ」向きの性格ではないだけかもしれませんが、少なくとも私にとっては、「毎日コツコツ、決まった時間に、ちょっとずつ」というのは幻想です。

たとえば800問あるとしたら、
1~400問目:1日80問×5日
401~700問目:300問を1日で
701~800問目:1日50問×2日
って配分するほうが、

1日100問×8日、ってスケジュールを組むより、成功率が高い気がして。
とにかく、今回一巡できたのはそういうスケジュールでした。
暗記は、同じ問題集を二巡三巡することが肝であり、誤答対応のサイクルを何回転させられるかがポイントですので、一巡めはがっと片付ける方が、自分には向いているのかもしれません。

あー、高校時代の自分に教えたい(笑)
高校時代、課題の単語帳もネクステージも最後までたどり着いたことなんてなかった…やはりあれは、毎日コツコツやろうなんて思ってたのが甘かったのです。できるわけないだろう。一気に叩くしかないって。

コツコツが苦手な方はお試し頂ければと思いますです。

以上はねゆきでした。



今週のお題「私がブログを書く理由」

雑談ノート
そりゃあ「自分が読むため」でしょう。

今週のお題「私がブログを書く理由」についてです。

たとえば、持ち歩いていた本を、通勤途中に読み終わってしまったとしましょう。
さらに、読者登録しているブログの最新記事もあらかた読み尽くしてしまった。ネットニュースもさほど興味を引くものがない。
とにかく、ただたた圧倒的に手持ちぶさたである…という状況に陥ったとしましょう。
待ち時間や通勤時間やなんかでね。
そしたら、何をするか。

私の場合だったら、まず日記(常時持ち歩いている)を読むかもしれないな、って。
そして次にブログを読みます。
過去の自分の書いたものを読むと、すごく興味深かったり、「うんうんそうだよね!私もそう思ってたの!」と激しく同意してしまったり、という部分が多くて…って、そりゃあ自分で書きましたからね!
気づきや学びを書き、後日それを読んで共感する。自給自足。

ここで、「ただ自分が読むだけが目的であれば、アナログの日記帳(もしくは、オフラインのエバーノートやライフログ)でもいいではないか」というツッコミが聞こえてきそうですが。
確かにそうです。というか、もちろんアナログの日記もつけています。ブログには(いくらほとんど読まれないとはいえ)書けないような、ざらざらドロドロしたことや、名指しの悪口(笑)は日記に書きます。

でも、不思議なことに、後で読み返して、共感できる度合いが高いのは、ブログです(アナログ日記を読み返していると、「お前何言ってんの、反省しろー!」と過去の自分を殴りたくなる率の方が高いです)。

たぶんそれは、仮想の読者がいて(実際にはほとんどいませんが)
ある程度は一般化の作用が働くので(名指しの悪口や内輪ネタを避けるとか)
「未来の自分」というある意味「他人」が読んでも共感する(しかも基本的には同じ人間)ということではないかと。

…自分で書いてて思いましたが、孤独ですね。そして暇人。
さらに言うと、キモいですね。
「自分」のことばっかり考えてる「自分」大好き人間に見えると思います。実際にそれは否定できませんし。

でも私のように、家族も友達も恋人もおらず、職場以外のコミュニティに属さず、都会の雑踏にまぎれて一人暮らしている未婚の人間が、「自分」について考えない日なんて、あるんでしょうか。


そうそう、孤独といえば、こんな本を読みましたよ。

孤独の価値 (幻冬舎新書)

孤独の価値 (幻冬舎新書)



孤独に価値があるもないも、現に孤独なんだから仕方ないじゃんねえ。

ぐだぐだですが(笑)

以上はねゆきでした。

【マンガ】《第2の刃》を磨くことの大切さ~『暗殺教室』

マンガノート
土曜は、ほとんど部屋に引きこもって『暗殺教室』①~⑲を一気読みしていました。
面白かったですよ(*`・ω・)ゞ

暗殺教室 1 (ジャンプコミックス)

暗殺教室 1 (ジャンプコミックス)

さんざん流行って盛り上がって、もはや完結している作品。今更感がありますが、感想を書きます。


《勉強》をカッコよく描いた作品

あらすじは、ご存知の通り。
名門中学で落ちこぼれのレッテルを貼られ、隔離された3年E組の生徒たちの前に、触手をもった生物(殺せんせー)が現れます。彼は「1年間3年E組の担任を務めること」「1年後に地球を爆破すること」「防ぐ方法は、3年E組のメンバーが、1年の間に彼を暗殺するしかないこと」を宣言。
個性豊かな生徒たちが、殺せんせーとともに、暗殺・学業・学校行事に打ち込んでいく中で、成長していく姿を描きます。

暗殺×学園もの…という奇抜なテーマ、意外性・工夫の凝らされたページ運び、緻密に計算された設定と伏線…などなどマンガとしての完成度の高さもさることながら。
このマンガ独特のすごいところとしては、「《勉強》をすごくカッコよく描いている」ところではないでしょうか。

というのも、暗殺や訓練といったバトルシーンに負けず劣らず、試験対策や授業・勉強のシーンに紙幅が割かれていて、それがこのマンガ独特かつ楽しいところだなー、と私は思ったんですよね。というか、すごく教育にいいですよね(笑)
殺せんせーは生徒たちを暗殺者として鍛えていきますが、と同時に、勉強の重要性もすごく強調しています。


《第2の刃》を持つこと

象徴的なのが、《第2の刃》の話。
第2の刃を持たざるものに、
暗殺者の資格なし!
とかって2巻で出てきて、以降全編を通してキーワードのひとつになります。
つまり、暗殺という「第1の刃」が失敗しても人生が切り開けるように、武器になるものを複数磨いておきなさい…ということ。

また、この物語では「優れた暗殺者ほど万に通ずる」といって、オールラウンダーになることの重要性も描いているんですよね。
長所を伸ばして才能を発揮して生かす道もある。でも本当に卓越した者は、オールラウンドに何でも取り込んで、何でも出来るように努力するんだ…というメッセージ。

こういうことって、教育において本当に大切なことだと思うんです。
確かに、個性を発揮し、長所を伸ばし、必殺技を鍛えて一点突破していくヒーロー物は読んでいてスカッとします。実際の教育でも、長所を伸ばす重要性が説かれがちです。日本の教育は横並び主義だからダメなんだ…なんて議論もよく耳にしますね。

でも結局、長所の発揮・一点突破で人生切り開ける人なんてごくわずかですよね。
そのときには他の武器がなければならない。もっというなら、あまりに極端に苦手なことがあっても人生厳しくて、苦手なりに最低限の形になってないとまずい(もしくはそのカバー法を見つけてないとまずい)ってことが現実にあるじゃないですか。
もちろん個性はガンガン伸ばしていくんですが、こういうバランスを取るのも「教育」の重要な役割のひとつかなって。だから受験で選択する以外の科目もしっかり勉強しないといけないし、勉強も勉強以外のことも等しく挑戦しないといけない。

…というのも、自分が、一点突破に失敗した人間なので、その後悔もあって。一点突破を挑んで失敗したら、ほんとにアンバランスな、欠落の多い、生きづらーい人間になっちゃいますよ(笑)

とにかく《第2の刃》って考え方はほんとに大事。バランス大事。
長所・才能を伸ばして第1の刃を磨くことと、それが失敗したときのために第2第3の刃を磨いておくこと。また、苦手なことも最低限基礎は作っておくこと。そのバランス感覚が大切なのです。

いやぁこんなに《勉強すること》《学ぶこと》《教えること》の本質を捉えたマンガが、かつてジャンプにあったでしょうか。


もうひとつ引用して結びます。

そもそも人に何かを教えたいと欲する時
大きく分ければ理由は2つしかありません
自分の成功を伝えたい時か…自分の失敗を伝えたい時
これもほんとにそうだなー、と思うんです。
このマンガを読んでて、本当に、現職についてよかったと思いました。
なんだか教育欲の刺激されるマンガでした。

以上はねゆきでした。