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はねゆきノート

片づけノート/お仕事ノート/読書ノート/その他もろもろ

【マンガ】松田奈緒子『重版出来!』(9月 7/100)

マンガノート

重版出来!」①~⑦

 

 

マンガ雑誌「バイブス」編集部に配属された新人編集者・黒沢心が、様々なマンガ家や編集者たちと仕事をしていく過程で成長していく姿を描くお仕事マンガです。

 

超人・心ちゃん…

こういうお仕事マンガって、ふつうだったら仕事!挫折!葛藤!成長!ってサイクル回してくイメージ。最初は未熟な主人公が、仕事を通じて新しい考え方だったり、技術だったりを身につけていく。読者はそれと自分を重ね合わせて、自分も頑張ろうとおもう…というような。

けれど、この主人公の心ちゃんは珍しく、最初からかなりデキる子です。

性格は明朗で積極的。素直でメンタルが強く、屈託なく、大して挫折も葛藤もしません。安心して見ていられます。というか完璧すぎる。。

というわけで、心ちゃんに自分を重ねる、といった読み方はまったく出来ず(やはり素直が一番ですね。それは分かりますが)感情移入はできないのです。それは「お仕事マンガ」として大きなビハインドだと私は思います。

それでもこんなに面白いのは何でだろう、と考えてみると、キャラクターの持つ、仕事に対する「こだわり」かなぁと思うんです。

 

こだわりを持って仕事するひとびと

そう、職人気質なこだわり。

たとえば心ちゃんが勤める会社の社長が、運を貯めている話が出てくるんですが、私はその話が大好きです。

詳しくは読んでいただきたいのですが、「いいことをすれば運が貯まり、悪いことをすれば運が減る」、だから仕事に勝つためにすべての運を注ぎこむべく、酒もタバコもギャンブルもせず、小さなことでも運を貯める…という話なんですけれど。

それでこの見開き。


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本が私を人間にしてくれた。しびれますね。

そういう一種のこだわりを持って仕事をする、というのはかなり憧れますね。だから主人公が完璧すぎて感情移入できなくても、お仕事マンガとして胸が熱くなるんだと思います。

いやぁ、自分だって出世も結婚もどうせできそうにないから、せめて職人的なこだわりを持って仕事をしていきたいなとおもうんですよね。今の自分がこだわりを持てないからこそ憧れるわけですが。

 

というよりは、

エピソードへのあこがれというのか。

 

マンガが楽しいのはいいのですが、上司がまだ閑散期モードに入るなとおこでした。。

いやだ9月位はまったりしたい!!

 

以上はねゆきでした。

 

映画「君の名は」~運命であることの証明は?

久しぶりの更新です。

9月はわりと時間が取れそうなので、この機会に「ワーク・ライフ・バランス」の「ライフ」の方を充実させよう!と思って…いろいろ計画を練っているところです。

まぁ、普段は「ワーク・イズ・ライフ」の様相を呈していますからね!

野戦場の一兵卒に休みなどないのだよ!ははは!

 

ワーク・ライフ・バランス

もちろん、普段はそれでよいのです。むしろそれが、よい。

なぜなら私、仕事しなかったら、きっと他人とかかわらないから。

自己完結した独善的な世界で、一人で生きていってしまうから。それはとても気楽だし、甘美だけれど、一方でとても危険なことではないか、と思うのです。

だから、何でもいいから働いて、社会と、他人とかかわっていることが、自分にとっては核心的に大切なことなのです。正直待遇とか給与とか、おそらく仕事内容さえも二の次で、私は外界との接点としてかいしゃを必要としています、ハイ。

 

しかし一方で、自分の時間がなさすぎると、だめなんですよねぇ。

内側に向かって閉じられた時間、自分の時間がなさすぎると、それはそれでだめです。

 ですから、9月は自分の時間を増やします。

 

普段やりたくてもできないことを、たくさんやりたいなぁ、と思っていて。

・本をたくさん読みたい。15冊くらいは!

・マンガも読みたい。100巻くらいは!

・映画も観たい。これは5本くらいでいいかな。

・・・

だめですね。完全に趣味が一人で完結してしまうタイプです。ぶっちゃけ他人、いらないですよね。いや、だめです。

 

映画「君の名は」

今日は9月のライフ強調月間← の第一弾として、映画を観てきました。

※ネタバレあり。


「君の名は。」予告

 

うーん、難しかったですねぇ。難しかったから面白かったけれど、それは感動とはちょっと違いましたね。まぁ、面白かったけれど。頭使うから。

序盤はお互い面識のない、境遇もまったく異なる男女が中身だけ入れ替わって日常生活を送る…という話で、よくある「ボーイ・ミーツ・ガール」だなぁと思っていたんですが、中盤以降、どんどん難しくなっていって。時間もズレてるし。

私はちょっと、感動している暇がなかったです。面白かったし、好きですけれどね。

 

それにしても、「運命の恋」のハードルは本当に上がっていますね。

私の狭い観測範囲(恋愛ストーリーにおける)の中ですが、恋愛のSF化・運命の恋のインフレはやばい。本当にとどまることを知らない。

RPGのボスがどんどん強くなり、世界観がどんどん壮大になっていくように、恋愛ストーリーの設定もどんどんインフレしていって。

これもそうだし(中身入れ替わってないけど)

 

あとは死ぬしかないですね、片方

君の膵臓をたべたい

君の膵臓をたべたい

 

 

それが恋愛ものである以上、その恋愛が運命的であり、2人は出会うべくして出会い結ばれるべくして結ばれた2人である、という一種の正当性が必要なのだと思います(逆にそれを証明しない、ということを魅力にする作品もあるでしょうが)。それでは何によってその恋愛が運命的であることを証し、説明するのか?

いまや中身入れ替わったあげく時間まで跳躍するくらいの奇跡で(もしくは片方が死ぬくらいで)、ようやく「運命の恋」として納得し、「感動」するのかなぁ、なんて。それくらい「壮大」じゃないと、我々はそれを「運命の恋物語」として享受し、消費し、感動できないのかなぁ、なんて。

つまりその恋愛が「運命」であることを証明するのは、「奇跡」である。その(最もてっとり早い)一手法がSFであり、中身が入れ替わるとか、時間がずれるとか、片方死ぬとかである、と。(あとどちらかが犯罪者だとか。)それでどんどんSF的恋愛ストーリーが量産されていく、と。

 

まぁでも、私はSFっぽい恋愛ストーリーは結構好きで、もちろん普通の恋愛ものより数段好きです。人物の心理面から説明するよりよっぽど理解しやすく、納得もしやすい。ああ、運命だよね。実際時間超えちゃってるもんね。

逆に人物の心理面から丹念に描写される恋愛小説に「感動」する感受性をはぐくまないと、それはそれでなー、と思ったりもします。

 

とにかく「君の名は」は、面白かったです。絵も綺麗ですし。

 

ちょっとぐだぐだですね。終わりにしましょう。

はねゆきでした。

 

【読書】佐藤優『知性とは何か』

読書ノート
佐藤優『知性とは何か』を読みました。

知性とは何か(祥伝社新書)

知性とは何か(祥伝社新書)

日本を蝕む「反知性主義」に警鐘を鳴らし、それに負けない強靭な知性を身につける方法を伝授する…という本です。

まずこの本のキーワード「反知性主義」の定義を確認しておくと、「実証性と客観性を軽視もしくは無視して、自分が欲するように世界を理解する態度」とのこと。
日本の政治・国際情勢の諸問題における反知性主義の蔓延を浮き彫りにしています。


どうして読もうと思ったか

単純に、佐藤優さんの本が面白いから…というのもありますが、やっぱり「反知性主義」というキーワードが引っ掛かったんだと思うんですよね。
もっというなら、自分には《実証性と客観性》が足りないと思う。《自分が欲するように世界を理解する》ドグマに陥っており、自己認識と他者認識が著しくずれ、その矛盾に激しいフラストレーションを感じる…というか。
自分の中に、《他者や世界を自分が欲するように曲解してしまう》歪みを感じ、それが悪感情を生んだり状況を悪くしたりするので、かなり心を痛め、疲れているわけです。そうした歪みは、脆弱だと思うし、かつ「弱いから仕方ない」という言い訳が許されないほど邪悪だなと思います。
なので最近、自分の中の反知性的な歪みを正す処方箋を求めている節がありますです。


反知性主義を克服するには

結局、どうすれば反知性主義を克服できるんだろう?と思いながら各論を読み進めていったのですが、あとがきにあっさりと答えが書いてありました。長いのですが、引用します。

第一は、自らが置かれた社会的状況を、できる限り客観的にとらえ、それを言語化することだ。自分の考えていることをノート、PC、スマートフォンなどに記録する習慣を身につけよう。
第二は、他人の気持ちになって考える訓練をすることである。
第三は、LINEなどのSNSを用いた「話し言葉」的な思考ではなく、頭の中で自分の考えた事柄を吟味してから発信する「書き言葉」的思考を身につけることだ。
(中略)
このような知性を強化する作業を継続することによって、信頼、希望、愛など「目には見えないが、確実に存在する事柄」をつかむことができるようななれば、もはや反知性主義を恐れる必要はなくなる。

結局「日々訓練」ということですね。身も蓋もありません。
特に「他人の気持ちになって考える」なんて本当に身も蓋もないですね。同じ著者の他の本で「相手の内在的論理を知る」ということをよく記していますが、それに通ずると思いました。

結論としてまとめてしまうと上のようなあっさりしたことですが、この本のエッセンスはむしろ、著者ならではの各論の分析の鋭さや興味深いエピソードの数々だと感じました。ぜひご一読いただければと思います。


相手の内在的論理を知るために

では「相手の内在的論理を知る」ためには、具体的にはどうすればいいのでしょうか。
私が著者の本を何冊か読み、自分の特性も合わせて自分なりに考えてやっていること(というか前々からやっていたけれど、特に意識するようになったこと)は、「相手の特徴的語彙を捉える」ということです。
人には必ず特徴的な語彙があります。それはその人の世界観や、人間観や、ビジネス上のドクトリンを示唆するので、それを捉えて分析することでその人の人となりに迫ることができる…と私は思います。
語彙、というか、何かを抽象的なことがらを伝えるときにどのような言葉を遣うか、というか、上手く言えないけど言葉には本当に個性が出るのです。
たとえば新しい上司の特徴的語彙は「腰が引けている」「王者として対応しろ」というもので、営業面で消極的発想を好まず、積極性を称揚します。理想主義的とも言えます。

そして、特徴的語彙を捉えたら、できる限り同じ語彙・論理で話すこと。逆に嫌なやつの(笑)語彙がうつらないように気をつけること。
会社の偉い人は、さらに偉い人の「特徴的語彙」を捉え、同じ語彙を使用することで思考を同化させている…と気づきました。語彙分析で、どの上司がどの役員の影響を受けたのかだいたい分かります(笑)ずいぶん特徴的な語彙だなぁと思っていると、もっと偉い上司が同じような語彙で話していて、なるほどなと思ったりもします。
能力が高く重要なポジションにある人ほど、自分の上司との語彙の同化率が高いので、嫌いな上司の口癖を無意識に使っていたりします。たとえば自分が罵倒された言葉でもって部下を罵倒する等々。頭が良いのは悲しいことでもあるのです。
また、部下の立場にある人でも、頭の良い人ほど無意識に上司の癖を真似してしまいます。口癖くらいならまだしも、舌をべろりと出す癖などが、おっさん上司からイケメン青年にうつってしまったのを見ると、なんかグロテスクだなぁと思ってしまいますですハイ。

話がずれました。
ただ、他人は観察できても、自分だけはなかなか客観的に見られません。
そのせいか、観察してどんな人間か分かっているにも関わらず、地雷を踏むことが避けられません(!)
これは驚愕的でしょう、語彙から背景や人生観を類推できるくせになぜ地雷を踏むのか。
つまり、それとこれとは関係ないのです(笑)
私はよく「人を怒らせる天才だね」と言われます。たぶん人を怒らせないようにしようというおこころが足りないんだと思います。ガードがゆるゆるなのです。気を付けたいです。
まぁ、今後の課題だなぁと思っています。

以上はねゆきでした。

ゴールデンウィークに読んだ本など

読書ノート
ゴールデンウィークもあとわずか。
何をしていたか、というと、わりとだらだらしていました。
毎日のように昼寝していました。午後を通して起きていたのは、移動日と5/1の2日間だけだったという(笑)
夜は本を読んでいました。1日1冊くらいのペース。佐藤優さんの本に影響されて、概ね世界史・国際情勢に関する本を読んでいました。
いや、最初は佐藤優さん繋がりというか、面白かったからもう1冊、という軽い気持ちだったんですけどね。
これが最後の100ページくらい分かんなかったんですよ、全然。
それでちょっと危機感を感じて、関連しそうな本を読み漁っていました。
世界史やら、国際情勢やら、政治関係やらの新書を山積みにして読み耽っているので、母に「どこに向かっているのかなー?」と聞かれる始末(笑)
次はこれ。

集団的自衛権って、漠然と、「自衛隊が海外に行って戦争ができるようにする法案」だと思っていたのですが…実質この閣議決定によって、自衛隊の海外派兵のハードルが上がったとのこと。
いろんな見方があるのですね。


これは分かりやすかった。

世界のしくみが見える世界史講義 (Knock‐the‐Knowing)

世界のしくみが見える世界史講義 (Knock‐the‐Knowing)

用語はほとんど出てこず、地域別の歴史をストーリーとして理解しやすいです。何百年分の歴史をだーっと読んで、最後はちゃんと現代の国際情勢や問題に着地します。
これを読んだあとのこれ

世界史の極意 (NHK出版新書 451)

世界史の極意 (NHK出版新書 451)

は、難しかったとはいえ、半分くらいは理解できたと思います。やれやれ。


世界史を勉強したくなるわけ

たぶんコンプレックスだと思うんですよね。
高校で世界史Bは履修したのですが、センターも二次も日本史選択だったので、真面目にやってなかったんです。
というかノートも取らずにずっと寝ていました(!)
結果、ざっくり言うと「ローマ帝国が崩壊→→戦争→今に至る」みたいな惨憺たる状態(決してローマ史ならできる、というわけではありません。そこにローマがあったことは知ってる、というレベルです)で高校を卒業。
そのあと触れていないのです。
それでコンプレックスなんだと思います。

今回ちょっと本を読んだので、「ローマ帝国が崩壊したあと神聖ローマ帝国が出てくる」ということが分かりました(笑)
あとは、繰り返し出てきたので、イスラム教のスンニ派とシーア派の違いも分かりました。
いやもちろん他にもいろいろ勉強になりましたけど。資本主義の話とか。

いくらなんでも、あと20冊くらい読んだら世界史もだいぶ分かるんじゃないかなと思います。
だいたい、未知の領域って、最初は書いてあることの3割くらいしか分からなくても、とりあえず我慢して10~20冊読むうちには要点が分かってくるものではないか、と。
ただやっぱり散逸的になってしまうので、どこかで頑張って通史を通読する必要性を感じます。
なのでさしあたり『詳説 世界史B』(高校教科書)を通読するのが目標なのですが、今のままでは「オリエント」で爆死するので(早っ!)、もう少し段階を踏んでからと思っています。ところで、


今さらそれを勉強して、どこに辿り着くのか

それな←
何の役に立つって、たぶん実生活の役には立たないんですよ。私ごときこっぱ会社員、グローバル社会を丁々発止で生き抜く教養も知恵も必要ありません。
そもそもキリスト教史を教養として必要とするビジネスパーソンが全体の何割いますかって。少なくとも私の三等親と、その職場にはいませんね(笑)

でも1つだけ信じていることがあります。
「知は力なり」です。

直接実生活に役立つ必要はありません。
知っていることの広さ深さによって、世界認識と人間理解が変わります。
それらが変われば人生が豊かになります。たぶん。
読書と一緒です。

でも今後かいしゃが始まって毎日働かなきゃなのに、英語も世界史も勉強できるかっていうと、難しいかもしれませんね。
まぁいいか。それはそれ。

以上はねゆきでした。



【読書】佐藤優『人に強くなる極意』

読書ノート

ゴールデンウィーク、まったりしています。勉強を(ちょっとだけ)して、あとは昼寝をしたり、本を読んだり。
今日も半日昼寝してしまったなぁ…ちょっと勿体ない感じがしますね。

今日はこんな本を読みました。

 

著者は元外交官。対ロシア外交、北方領土問題に携わって最前線で活躍していましたが、鈴木宗男議員の事件の際、特捜部によって逮捕・起訴され、512日間拘置所に勾留、失職。その後ノンフィクション作家になった異色の経歴の持ち主です。

最近本屋さんでよく見かける気がして、気にはなっていたんですよねぇ。


いろいろと印象深い話はあったのですけれど、

もし皆さんの周りにびびってしまう相手がいたら、そんな時ほど相手をよく見ることです。怖がって目をそらしたり無視することが一番いけない。そうすると相手が見えなくなり、見えなくなるからこそますます恐怖感が大きくなる。

確かにそうだな、と思いました。そして面白いのがここから。

特に特捜の常識として「官僚、商社マン、銀行員、大企業社員といったエリートは徹底的に怒鳴りつけ、プライドを傷つけると供述をとりやすい」というのがあるそうです。
エリートほど落とすのは簡単だと。「お前は社会のクズだ!」「犯罪者だ!」などとなじられると、彼らはこれまでそんな体験はないですから、一気にそれまでの自信を失って検事のいいなりになるそうです。特捜ではこれを「相手を自動販売機にする」と表現します。

…本当かどうか分かりませんが、こんな体験談、他の本にはないですよね(当たり前ですけど)。
しかもそういう脅しに対しても著者は屈せず、相手の人となりをよく観察して、乗り切った…という話が続くわけです。
私は純粋にものすごいと思ったし、面白いと思いました。

こういう、ずば抜けた人・修羅場をくぐった人の話って、本当に面白いですよね。本を読んでいても臨場感があるというか、その場で話を聞いているかのように迫力があって。
たとえば、日常の些細な油断が命取り。1枚のファックス忘れが外交問題に発展するし、ちょっとしたミスが組織に足元をすくわれる原因になるんだ…といった趣旨の話が何度も出てきました。エリツィン元大統領のサウナ政治の話とか、いちいちスケールが大きいんです。不謹慎ですが、どんな修羅場なんだよ!ってツッコミたくなります(笑)
著者も、人生の「代理体験」としての読書を推奨していますが、こんな修羅場はふつうの会社員では踏めません(踏みたくもありませんが)。こういう、質の違う人生の話を読めるのは面白いなと思いました。

引用の前後、脅されても怒鳴りつけられてもびびらず、相手をじっと観察して、「相手の内在的論理を知る」(=相手の価値観がどのようなもので、どんな意図と論理で行動しているのか見極める)ことが大切だ、というメッセージが印象に残りました。

 

私自身は「怒られても怒られても折れずに立ち向かうガッツだけはすごいよな」などと褒められるタイプです(それはたぶん褒められていないが、他に特に褒められることはないので)。
裏を返せば怒鳴られ役であり、怒鳴られずに大切にされるタイプや、ソツなくこなしたり成果を出したりしてそもそも怒鳴られないタイプの人が羨ましいなぁ…とも思います。

今後は怒鳴られついでに「相手の内在的論理を知る」ということを意識し、これを新たな強みとして磨いていきたいと思いました。
(余計怒られそうですけどね)

以上はねゆきでした。

【読書】内田樹、光岡英稔『生存教室 ディストピアを生き抜くために』

読書ノート

本日から、ゴールデンウィークに入りました。
うちの会社の「正月」とも揶揄される、1年で唯一の大型連休。
1週間まるっとお休みのため、とりあえず実家に帰ってきました。
ノープランですが、本を読んだり、英語の勉強をしたりしながらゆっくり過ごそうと思います。


さて、移動中にこんな本を読みました。

 

生存教室 ディストピアを生き抜くために (集英社新書)

生存教室 ディストピアを生き抜くために (集英社新書)

 

 思想家にして武道家の内田先生と、各界から大注目の武術家・光岡先生の対談本です。
暗殺教室』を入口に、「現代社会をサバイブする」というテーマで繰り広げられる「身体論」「教育論」が対談の中心でした。


特に「ここ1~2世代で日本人の身体(身体観)が大きく変化した」「古い世代の武術が前提としていた身体性のアベレージが変わってしまい、成立しなくなった武術もある」といった話題が印象的でした。
明治初期の米俵1俵が60キロだったそうですが、なぜ60キロになったかというと「誰にとっても肩に担げる持ち運びやすい重さだから」(!)実際、米俵5俵を担ぐ農婦の写真なども出てきます。今では考えられないことですが、それぐらい、身体も身体観も変わってしまった。「同時代のみんなが、これくらいできる」という平均的な身体能力の前提が変わってしまった…っていう話なんですよね。

特に、椅子の上で過ごす時間が長くなったことで、足腰が弱ってしまった…と光岡先生は述べています。


デスクワークには足腰や肚は関係ありません。動かしているのは胸から上だけです。古の時代では普通にあった身体を失っているし、無論足腰や肚は感じられない。とはいっても、やはり生きているわけですから、なにか身体っぽいものがあるのはわかるけれど、それに対してはアクセスする術がわからず、一切無力という感じにしかならない。自分が幽霊のように足腰のない状態になっています。

 

自分が生きて行く上で欠かせない足腰が抜けているから自信も持てず、自身の身体が観えていないゆえに現代人は頭しか使えなくなっています。身体を動かすことなく頭の中だけで辻褄を合わせようとして、他人の意見と自分の意見のすみ分けもできず、他人から得た情報を自らの経験を通さず自分の意見であるかのように勘違いする。他人の言葉で語り、それを自分だと錯覚する。
生きるとはまずは自分一人で現実に向き合えるかどうかが大前提のはずです。


…耳が痛いお言葉。
自分もふだん、頭でっかちだなぁと思うことが多々あるんですよね。
ふと人に向かって口に出した瞬間に、浅はかさ(地に足がついていなさ加減)がわかるような考えや感情、というんでしょうか…
そういうのは、ふだん孤独で、夜や朝、悶々と一人で考えてしまうから、一人よがりだというのもあるし。
一方で、身体をまったく動かさず、頭の中だけで考えたことだから…というのもあると思うんです。
考えたことや思ったことや、もっといえば愛したこと、憎しんだことすべて、地に足がついていなくてバーチャルな感じ。それでも、ちょっと身体を動かして、身体的な苦しみを実感として味わうと、小さな悩みや現実的でない苦しみは吹っ飛ぶ…ということはあると思います。ですから、日ごろ運動をしたり、鍛えたりして、身体性にアクセスする習慣を持っている人が羨ましいです。

 

いやぁ、運動したいなぁ。
以前ホットヨガをかじったこともあるのですが、あまりにできなくて浮いていて(笑)周りの目が気になったので、続かなかったんですよね…
あれもほぼほぼシティガールのファッションと化していますからね。そんなじゃなくてちょっと身体を動かす習慣が身につくような趣味があるといいんですが。


教育論も示唆的でした。

自分で生きていく力を自身の中に見つけることが大切であり、言い換えれば教育とは学ぶ人が有無を言わせない自信をもてるように促すわけですが、それはあくまで本人の中で感覚として得られるもので、強いることはできません。

 

個性に焦点化するというのは教育においてまちがいなくもっとも効率的ですね。


さてさて教育業にかかわって5年目、本当に一人一人を伸ばす指導ができるのか?
個性に焦点化し、長所を伸ばし、苦手は「手入れ」して、自信を持たせられるよう、今年度も頑張ります。

以上はねゆきでした。

 

【勉強法】暗記系問題集、一巡めは一気に叩く

高校英語参考書ソムリエ
フォレスト問題集を一巡しました。

総合英語Forest(7th Edition)解いてトレーニング

総合英語Forest(7th Edition)解いてトレーニング


序盤の講はスムーズだったのですが…中盤もたつきました。
これは、問題集あるある、というか。
「毎日コツコツやるぞ!」と決めて取り組むと、序盤の方はけっこう一生懸命やるんですが、中盤もたれて投げちゃうんですよね。毎日やっていると、他にも優先順位の高いことがあったりとかして。
で、しばらく触ってなくて、また気を取り直して最初から始めるんですが、結局は中盤で投げ出す、の繰り返し…なんてこと、けっこうありますよね。
だから文法も単語も、序盤は記憶が強化されていて、よくできるけれど、中盤終盤ぐだぐだだったり…歴史も、平安時代までは完璧だけど、戦後はあやふやだったり…

で、考えたんですが。
中盤もたれてきたら毎日コツコツやってる場合ではないな、と。
自転車だって、登り坂は立ち漕ぎしてエネルギーを使って一気に上がりますよね。と同様、コツコツ系の勉強においても、峠は一気に越えないと、一生ゴールにたどり着けないのではないか…と。

単に私が「毎日コツコツ」向きの性格ではないだけかもしれませんが、少なくとも私にとっては、「毎日コツコツ、決まった時間に、ちょっとずつ」というのは幻想です。

たとえば800問あるとしたら、
1~400問目:1日80問×5日
401~700問目:300問を1日で
701~800問目:1日50問×2日
って配分するほうが、

1日100問×8日、ってスケジュールを組むより、成功率が高い気がして。
とにかく、今回一巡できたのはそういうスケジュールでした。
暗記は、同じ問題集を二巡三巡することが肝であり、誤答対応のサイクルを何回転させられるかがポイントですので、一巡めはがっと片付ける方が、自分には向いているのかもしれません。

あー、高校時代の自分に教えたい(笑)
高校時代、課題の単語帳もネクステージも最後までたどり着いたことなんてなかった…やはりあれは、毎日コツコツやろうなんて思ってたのが甘かったのです。できるわけないだろう。一気に叩くしかないって。

コツコツが苦手な方はお試し頂ければと思いますです。

以上はねゆきでした。