はねゆきノート

片づけノート/お仕事ノート/読書ノート/その他もろもろ

【読書】パウロ・コエーリョ『11分間』

どんな本を読むの?

「どんな本を読むの?」という質問、あれにわりと困るのは私だけでしょうか。

たとえばですね、
休日は何してんの?
…(夕方近くまで寝ていて、起きたら出かけて、本屋さんで閉店間際までぶらぶらして、その後は)本を読んだりとか。
へえ、すごい。どんな本読むの?好きな作家さんとか、いる?
… … …いや、わりと何でも。

とか。
そういう会話になりがちです。
面倒くさい。自分にとって本当に大切なことを、会話内で当意即妙にお伝えすることは大変面倒くさい。
どんな本を、って言われてもなぁ。ジャンルで決めるわけではないですね。
小説も読むし、ビジネス書も読むし、エッセイも読むし…。ジャンル不問、和洋新旧取り混ぜ、わりと何でも。
本当によく聞かれるので、ちゃんと普段から答えを決めておかないといけないなぁと思う今日この頃です。

そしてもうひとつ問題としては、日常関わりのある人に読書傾向を知られるのは、性癖を知られるのに似た気はずかしさがあるわけです。
たとえば個人的な話ですが、「筒井康隆の『旅のラゴス』が良かった」は普通に言えますが、パウロ・コエーリョが良かった、とは、たぶん知り合いには言わないでしょうね。
まぁ、心の中にしまっておくかな。別に筒井康隆がどうでパウロ・コエーリョがどうで、ということではなくて、自分の現実世界と精神世界の折り合いの問題だと思うのですが(もちろん、逆に筒井康隆が好きってよう言わない、という人もいるでしょう)
それは人それぞれ、目に見えないラインがあるのではないでしょうか。


パウロ・コエーリョ『11分間』

本題に入ります。
パウロ・コエーリョ『11分間』を読みました。

11分間

11分間


昨年末からパウロ・コエーリョを読み始めて、『星の巡礼』と『ベロニカは死ぬことにした』、それから『11分間』。

さて、『11分間』は、ブラジル人の女の子がダンサーとしてスカウトされてやって来たスイスで、娼婦となり、運命的な恋愛をする…という話です。
運命的な恋愛について、印象的なくだりもありますが、とりあえず置いておきます。
(ちょっと参照しようがないというか、経験値が乏しいため、現実との距離が測りかねる)

まぁ一言でいうと、エロ×スピリチュアルなんですが、おセックスがいちいちスピリチュアルなので別にそこまでエロくはないわけですハイ。
そしてその記述がどの程度現実と乖離しているか、私には判断するすべがない。

… … …

さてさて、印象的だったのは、彼女が娼婦になることを決めるシーンとか。

〈私たちは涙の谷にいるのよ〉

涙の谷、という表現が印象的。出典があるのかもしれませんが、寡聞にして分かりません。
後は、娼婦をやめようと決意するシーンとか。

「自分の好きでないことをやっているのだ。…自分の貴重な体と貴重な魂を、決してやってくることのない未来のためと銘打って差し出しているのだ。…あともうちょっと待つ、もうちょっと稼ぐ、自分の欲望の実現を後回しにする」

結局は自分の人生を、好きでないことのために浪費していると気づいたマリーア。
スイスに来て娼婦になると決めたシーンと対照的で印象に残りました。


パウロ・コエーリョの作品は、主人公が特別な経験を通じて、精神的な成長だったり、人生の変化や気付きだったりを得る様子を、鮮やかに描いたものが多くて。
それ私は結構好きなんです。どこか読書を通じて、精神的な成長や変化や、気付きを得たいと思っていて、それに合致している、ということだと思う。

が、私の中では、アラサーお一人様女子のスピリチュアルは人目を憚る…というか、まぁ現実世界では人に紹介しないかなぁ…と思います。
現実との距離感の問題。

以上はねゆきでした。