はねゆきノート

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【マンガ】「アルスラーン戦記」~10年後、未完の最新刊を読むという未来予想図~

2012年の春を、時に感傷を持って追想します。
大震災のあくる年、就職活動に失敗してうちひしがれ、家族と学生時代のごく親しい友人以外には知らせないまま、逃げるように北海道に流れました。

あのときは、逃げたあとも人生が続くなんて、思いもしなかった。


逃げたあとも人生は続く

もともと無時間モデルの人間…つまり、未来のことを想像するのが苦手な人間なんです。
いまだに1週間先の未来も計画だてられない。
「いま」しかない。刹那的なんです。
加えて精神的に不安定な部分がありました。周期的に、毎月死にたいほど落ち込んでいました。だからそのうち発作的に自分で命を断ってしまうだろうなと思っていた節があります。
(近年そういう落ち込みの発作はなくなり、代わりに物凄く怒りっぽくなりました)

だから、就職を決めたときも、自分が26歳にもなって生きていると思っていなかった。
というか、本当に想像を絶していました。
冗談だろうと思われるかもしれませんが、本当に、15歳のときは18歳くらいで人生がなくなると思っていた(死ぬというリアルな話ではなく、時間軸がぷつっと切れるイメージ)、18歳のときは22歳までと思っていたし、22歳のときはあと数ヵ月だと思っていたし…
だから23歳になったとき困惑しました。

生きていくのか。このあとも。ずっと。
そりゃそうだ。死ななかったら。
もしかしたら5年経っても生きているかも。
10年後は?
20年後は?

じゃあ死ねよ、という心ない声が聞こえそうですが、別に死にたいわけじゃないんです。
生きていることが想像を絶しているだけで。ただ本当に、生きてると思わなかった。


アルスラーン戦記の話は…?

あ。自分語りが長くてすみません。マンガ版アルスラーン戦記を読んだのでした。最新刊まで。
こういう主従関係モノは結構好き。

1つだけ気になるのは、「原作が30年近くかけて完結していない」ということです。

お、おう…。
もしかしたらマンガ版「アルスラーン戦記」も完結しないかもしれないし、完結するとしても自分が30代、40代になってしまっているかもしれない、ってこと…?
なんだかはてしなくて眩暈がします。ただでさえ未来のことは…。

本やマンガを読むのは、基本的にごく個人的で孤独な行為ではありますが、それでも読んでいる間は寂しさを紛らわすことができます。
でも10年後にアルスラーン戦記の最新刊(未完結)を一人読んでいるところを想像してみると、
私はそのときも生きていて…だめだ、変化は想像できないから、そのときもまだ一人ぼっちで…。
いまと同じようなさみしい一人の時間が、こつこつと続いて、それが10年後まで。
ああ…。
未来のことは想像できない私が、「いま」という点を1つずつ打って、10年後の未来を描こうと思うと、はてもなく、眩暈がするような、寂寥と孤独に苛まされてしまいました。

すごく好きなのですが読後感としては寂寥と孤独が圧倒的なので、それについて書いてしまいました。レビューになっていなくてすみません。
それについてはまた気が向いたら。

以上はねゆきでした。