仕事がポンコツで「死にたい」と思う人へ贈る言葉
仕事がポンコツで、毎日罵倒されて、「はあ、もう死にたい」なんて思う人は、そうそういないかもしれないし、結構いるかもしれない。
「死にたい」って悩むのはやめて、「生きるしかないんだから、どうするかなぁ」って考えてみたら、というお話。
…かくいう自分も以前はかなり不安定で、何かミスをして罵倒されるたびに追い詰められて、「もう死にたい‥」くらいに思っていました。
「お前なんか恥ずかしい人間だな!」「もう病気だな!」「最低だな!人としてありえない!」など、毎日続く人格攻撃に参ってしまって。
そんな勇気もないので本当に死にはしなかったですが、上司の席で首を吊ってやろうとか、週に2~3回は思っていました。
でも、近頃では、「はぁ、もう死にたい」と思うことは少なくなって、
「そんなこと言ったって生きていかないといけないんだからさ‥(どうすっかなぁ)」と思うようになりました。
いくつか転機はあったのですけれど、結局どれだけ考えても「死ぬことはできない」という結論にしかならなかったんですよね。
どころか会社から遁走する勇気すら出なかった。今日も明日も、毎日毎日、生きていくしかないし、仕事に行くしかない。
そりゃ他人は何とでも(恥ずかしい人間だとか、病気だとか、人としてありえないとか)、好き勝手に言えばいいですけれど、
自分は、自分自身からは逃げられないですよね。恥ずかしくても病気でも人としてありえなくても、自分自身であることを辞めることはできない。
いきなり全部なかったことにはできない。
できないことがたくさんあっても、全然わからんちんでも、そんな自分を引きずって、生きていかなければいけない。
どれだけ考えても、いつもそこにたどり着くんです。「そんなこと言ったって、私は、今、ここから生きていくしかないんだけど」と。
というか、「お前なんか恥ずかしい人間だ。病気だ」とまで言われたら、否定するしかないんです。私は恥ずかしい人間じゃない。病気なんかじゃないって。
そうしなかったら生きていけないでしょう。他にどうするわけ。「私は恥ずかしい人間なんですよね」って、認めたら生きていけないでしょう。
とにかく肯定はできない。
否定するためには、自分を変えて証明しなきゃいけないかもしれない。
そんなに早く変われない場合には、とりあえず聞き流すかもしれない。もしくは環境を変えてみるかもしれない(目下猛烈に考え中)。
ということで、とりあえず何を言われても、死にたいとは思わなくなりました。
そもそも、どうして、仕事ができないくらいで、死ななきゃいけないわけ、と思う。
誰も「死ね」なんて言ってないし(しかしそのうち類する語句を言われかねない勢いである)、論点は「生きるか死ぬか」というところではないんでしょうけれど。
「人格攻撃されても死にたいと思わなくなった。むしろ死んでたまるかと思うようになった」
これは、誰にも言えないくらい低レベルで「成長」とは言えないかもしれないけれど、一応「変化」だとは思っているんですよね。
怒られた後の行動に改善が見られないからまた怒られるのである、というのは正論ですが、
「死んでしまいたいな…」と思ったとしても、「死んでたまるか」と開き直ったとしても、改善行動につながらない点では同じです。
だったら、思い詰めなくなっただけハッピー。心が強化された(麻痺した、とも言います)!
「死にたい」って言ってるだけで成長が見られないなら、結局ただの現実逃避であることに変わりありません。
でもずっと死にたいって思っていたらそのうち本当に病気になるかもしれないし、苦しみから一歩も脱出できない。まずは「まぁ、死なないけど」ってことを前提にしないと。
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今日のまとめ
仕事がポンコツで死にたい人に贈る言葉。
どうして仕事ができないくらいで、死ななきゃいけないわけ。
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上司には、「お前全然反省してないな!」「聞き流してるだろ!」と一層怒られるようになりました。
本当に難しい。何で聞き流してるって分かるんでしょうね(笑)生きづらいなぁ。
以上、はねゆきでした。