はねゆきノート

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今週のお題「私がブログを書く理由」

そりゃあ「自分が読むため」でしょう。

今週のお題「私がブログを書く理由」についてです。

たとえば、持ち歩いていた本を、通勤途中に読み終わってしまったとしましょう。
さらに、読者登録しているブログの最新記事もあらかた読み尽くしてしまった。ネットニュースもさほど興味を引くものがない。
とにかく、ただたた圧倒的に手持ちぶさたである…という状況に陥ったとしましょう。
待ち時間や通勤時間やなんかでね。
そしたら、何をするか。

私の場合だったら、まず日記(常時持ち歩いている)を読むかもしれないな、って。
そして次にブログを読みます。
過去の自分の書いたものを読むと、すごく興味深かったり、「うんうんそうだよね!私もそう思ってたの!」と激しく同意してしまったり、という部分が多くて…って、そりゃあ自分で書きましたからね!
気づきや学びを書き、後日それを読んで共感する。自給自足。

ここで、「ただ自分が読むだけが目的であれば、アナログの日記帳(もしくは、オフラインのエバーノートやライフログ)でもいいではないか」というツッコミが聞こえてきそうですが。
確かにそうです。というか、もちろんアナログの日記もつけています。ブログには(いくらほとんど読まれないとはいえ)書けないような、ざらざらドロドロしたことや、名指しの悪口(笑)は日記に書きます。

でも、不思議なことに、後で読み返して、共感できる度合いが高いのは、ブログです(アナログ日記を読み返していると、「お前何言ってんの、反省しろー!」と過去の自分を殴りたくなる率の方が高いです)。

たぶんそれは、仮想の読者がいて(実際にはほとんどいませんが)
ある程度は一般化の作用が働くので(名指しの悪口や内輪ネタを避けるとか)
「未来の自分」というある意味「他人」が読んでも共感する(しかも基本的には同じ人間)ということではないかと。

…自分で書いてて思いましたが、孤独ですね。そして暇人。
さらに言うと、キモいですね。
「自分」のことばっかり考えてる「自分」大好き人間に見えると思います。実際にそれは否定できませんし。

でも私のように、家族も友達も恋人もおらず、職場以外のコミュニティに属さず、都会の雑踏にまぎれて一人暮らしている未婚の人間が、「自分」について考えない日なんて、あるんでしょうか。


そうそう、孤独といえば、こんな本を読みましたよ。

孤独の価値 (幻冬舎新書)

孤独の価値 (幻冬舎新書)



孤独に価値があるもないも、現に孤独なんだから仕方ないじゃんねえ。

ぐだぐだですが(笑)

以上はねゆきでした。