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【読書】宮下奈都『羊と鋼の森』

宮下奈都『羊と鋼の森』を読みました。
新人ピアノ調律師が、失敗しながらも少しずつ成長していく話です。

羊と鋼の森

羊と鋼の森

帯に「村上春樹のドライさと湿り気。小川洋子の明るさと不穏、二人の先行作家の魅力を併せ持った作品です」と語られていましたが、うーん、よく分かりませんでした。
確かにピアノの音色に関する情景描写がたくさん出てきて、その表現の豊かさはこの小説の魅力のひとつでありましょう。

秋の、夜、だった時間帯が、だんだん狭く限られていく。(中略)
町の六時は明るいけれど、山間の集落は森に遮られて太陽の最後の光が届かない。夜になるのを待って活動を始める山の生きものたちが、すぐその辺りで息を潜めている気配がある。静かで、あたたかな、深さを含んだ音。そういう音がピアノから零れてくる。

こんな感じの。
けど個人的には、この小説の最大の魅力は、
「地道な努力をこつこつ続けながら、自分の目指す音色・調律のあり方を探っていく新人調律師の姿」であり、
「調律師としてなかなか思うような結果が出せない中、才能や努力の意味に思いをめぐらしながら、成長していく青年の姿」だと思うのです。

つまり私は、「お仕事小説」として読みました。
たとえばこんな。

「調律って、どうすればうまくなるんでしょう」
ひとりごとだった。席に戻りながら、思わず口に出ていたらしい。
「まず、一万時間だって」
その声にふりむくと、北川さんが僕を見ていた。
「そんなことでも一万時間かければ形になるらしいから。悩むなら、一万時間かけてから悩めばいいの。」

 

「口にしないだけで、みんなわかってるよ。だけどさ、才能とか、素質とか、考えないよな。考えたってしかたがないんだから。」
ひと呼吸おいて、秋野さんは続けた。
「ただ、やるだけ」
ぞくっとした。秋野さんでさえ、そうなのか。
「才能がなくたって生きていけるんだよ。だけど、どこかで信じてるんだ。一万時間を越えても見えなかった何かが、二万時間をかければ見えるかもしれない。早くに見えることよりも、高く大きく見えることのほうが大事なんじゃないか。」


才能とか、素質とか、考えない。ただ、やるだけ。
才能がなくたって生きていける。一万時間を越えても見えなかった何かが、二万時間をかければ見えるかもしれない。

個人的には、こういう言葉に心を動かされました。
才能とか、素質とか、考えてしまうのはまだ甘いのかもしれません。ただやるだけ。欲しければ求めるだけ、ですから。

好きだとか気持ちがいいだとか、自分の中だけのちっぽけな基準はいつか変わっていくだろう。あのとき、高校の体育館で板鳥さんのピアノの調律を目にして、欲しかったのはこれだと一瞬にしてわかった。わかりたいけれど無理だろう、などと悠長に考えるようなものはどうでもよかった。それは望みですらない。わからないものに理屈をつけて自分を納得させることがばかばかしくなった。
「あきらめないと思います」
声に出さずにつぶやく。あきらめる理由がない。要るものと、要らないものが、はっきり見えている。

 

***

最近、さる教育評論家の講演を聞く機会があったのですが、そのときに彼女が、

「子どもは親の時間を吸って育つ」「私は子どもに自分の時間をすべて吸わせました」

と言ってて。
そうなんだ、すごいな、でも私にはまねできない、そもそも子どもをもつことが想像できない…などと勝手に思っていたら、
一緒に聞いていた上司に案の定「お前は(結婚や子どもは得られないだろうから)仕事にすべての時間を吸わせたら?」と言われて(よく考えたら部下に言うことではまったくありませんが、もちろん、冗談でありましょう)ちょうど考えていた折も折です。

 

 

子どもに時間を吸わせれば、子どもは育つ。ある意味形あるものが世界に残る、それはそれで充実感の得られることだろう。
でも仕事に時間を吸わせたとして、私に何が残る?

 

そんなことを考えていたところなので、一万時間の話や、要るもの要らないもの、の話がアンテナに引っかかったのだと思います。

まぁ、その「仕事にすべての時間を吸わせる」決心もつかない時点で、本当は自分にとってどうでもよいものなのでしょう。
だからこそこんなに適当に為される。
自分のすべての時間を迷いなく、ためらいなく吸わせる対象を高校生にして見つけた主人公がうらやましく、自分もそうなれたら…と思いながら読んでいた、と思います。


ちなみに、「仕事に自分のすべての時間を吸わせて、何が残るのでしょうか」と当該上司に伺ったところ(よく考えたら上司に聞くことではまったくありませんが、もちろん、冗談であります)
「結局津波が来たら全部流されて、生き様しか残らないんだよ。人生で残せるものは生き様だけ」
と申しておりました。
…だんだんブログが彼の名言録と化しつつありますね(笑)

 

以上はねゆきでした。