はねゆきノート

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【雑記】受け止めること

俺の言葉を、気持ちを、余計な言葉を入れずに受け止めろ

さて上の唐突な引用は一体何かと言いますと、実は「昨日の上司の説教を一言で要約すると」コーナーなのでした(誰得)。

ともかく、叱責の間じゅう、「受け止める」ということについて思いを馳せておりました。だから今日は「受け止める」ことについて書きます。

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最近「受け止める」という言葉が私の上司の中で流行っております。
それにしても「俺の言葉を受け止めろ」という人は、一体実際何をすることを求めているんでしょう。私はそれが分からない。
返事?謝罪?命令への服従?心の入れ替え?

…かといって「あの、受け止める、とは…?」って質問したらそれは「余計なこと」に含まれてしまうよなぁ。余計な言葉を入れず、だもんなぁ…お、私にしてはナイス判断!
などと考えていて、叱責を承りつつも上の空、不自然に黙っていたせいか、後半は「バカじゃないの!」「お前みたいなやつは見たことないよ!」と口を極めて罵られました。ちゃんちゃん。

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さて。落ち込んだてい(!)で、もう少し考えます。
たとえば「お前はバカだ」を「受け入れる」ことは「はい、私はバカです」と口で言うことを意味するのでしょうか。それとも心からそう思うことなのでしょうか。
「ああ、本当に私はバカだな…」とか?

そう考えていくと、「はい、私はバカです」と口で言うことはできるけど、たぶん「自分はバカだと、心から思う」ことは、「お前はバカだ」と言われた程度では出来ないだろうなぁ、と思うんですよね。
これは信念の問題です。

おそらくうちの上司は、職業柄、「自分の言葉で働きかけて、他人を成長させる(=人格・思考回路・行動を変容させる)」という信念が強いのだと思われます。
私はどちらかというと、こんな稼業のくせに、そして若いわりには、「人間は変わることができない」と諦めている節があって、自分自身の人格形成からして完全に放棄しているので、そのことが人をいらいらさせるのでしょう。

現実的には、すぐに変えられることと、やはり変えられないことがあるのだと思います。
私は変えられないことを多く見積りすぎている。一方上司は変えられることをかなり多く見積っている…他人の心の中までも。

神よ願わくば私に
変えられないことを受け入れる落ち着きと
変えられることを変える勇気と
その2つを常に見分ける知恵とをお授けください
スローターハウス5

確かに言動は変えられるし、会社組織で働く以上、そこに最適化するよう言われるのは妥当な指摘だと思います。
でも心の中で思っていることまではなかなかね…
そもそも自分を変えたとして、周りにそれを認めるつもりはあるのか。私が相手の思い通りに変容したら、相手は勝ち誇るのではないか(それは悔しい)などなど。

変えられないことを受け入れる落ち着き、変えられることを変える勇気、その2つを常に見分ける知恵は依然として課題だな、と思いました。
こんな言葉でシメたいと思います。

「問題を自分のこととして受け止めて、自分が変わらなければ、状況は変わらない」

誰の名言かって?
うちの上司…(誰得)
私はこれでけっこう上司が好きです。なのに怒られるのでかなしい。

以上はねゆきでした。