はねゆきノート

片づけノート/お仕事ノート/読書ノート/その他もろもろ

【読書】松村栄子『僕はかぐや姫』

今日ブックオフで、松村栄子の『僕はかぐや姫』を見つけました。

108円。

僕はかぐや姫 (福武文庫)

僕はかぐや姫 (福武文庫)

 

 

高校から大学にかけて、大好きな作家さんでした。松村栄子

きっかけはセンター試験でした。過去問集を解いていたら、ある年の小説に出題されていて、すっかりファンになってしまいました。

でも絶版で新刊書店にはないし、アマゾンに出品されている古本は確か底値4000円くらいで(高ッ!)図書館にも必ずあるというわけではないので、わざわざ遠くの図書館まで読みに行ったりして…。今日偶然ブックオフで見つけて(しかも108円!安ッ!)数年越しの念願かなって手元に置くことができました。ラッキー。

他に松村栄子作品としては、芥川賞を取った『至高聖所』、あとは『紫の砂漠』、『詩人の夢』。

どれも繊細な感性を表現した、素晴らしい作品でした。これもどこかのブックオフに転がってないでしょうか…

 

『僕はかぐや姫』は、女子高の文芸部に所属し<僕>という一人称を使う17歳の裕生の、過剰な自意識、友人関係、やがて<わたし>という一人称を獲得し<僕>と訣別するまでを描く作品です。

多感な17歳の少女の内面の描写が、非常に繊細で、ひりひりしていて、高校時代に初めて読んだとき、ものすごく共感しました。

 

誰も彼もが己の皮膚の一センチ外にも関心がないほど傲慢で、また、自分は他人を非難できる者ではないと思うほどには謙虚だった。

 

魂を裸で持っているひとはいないのだ、と裕生は思った。かつて裕生も尚子もそれをちっぽけな硝子のかけらみたいな感傷に封じ込めていた。そしてそれを剣のように振りかざしたり、そのまぶしさに目をやられたり、掌にじっと握りしめたりしていた。何の役にも立たなくても、握りしめた掌をかえって引き裂いたとしても彼女らには大切なものだった。なくすのが、壊すのが、汚すのが怖かった。

 

こういうセンシティブな表現から高校時代の私が感じたことは、「この人は身を削って書いているな」ということでした。

この人は、己の感性と自意識とを、曝け出し、身を削るようにして書いている。魂を削って書いているー‥そのことに打たれました。しばらくは、文芸作品を読むときに、「松村栄子と同じくらい、身を削って書かれたものかどうか」を基準に判断してしまうくらい(笑)

こんなふうに感性を賭して、身を削って、何かを書いてみたい…!と、書くことへの志向が芽生えたのも、この作品が大きなきっかけだったように思います。もっと小さい頃から、書くことは好きでしたけれど。

 

さすがに26歳にもなると、17歳の頃と同じような感覚でひりひりしたりはしませんが、久しぶりに読んでもやはり繊細な内面描写が卓越しているな、と。

何よりブックオフで発掘したことが嬉しいのでした。

 

以上はねゆきでした。