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【読書】「余人を以ては代え難い言葉」を探して~内田樹『困難な成熟』~

内田樹の『困難な成熟』、読み終えました。今回も心に銘記すべき至言の宝庫でした。


ブログを始めて間もないというタイミングもあり、このあたりが心に残りました。

 

「私が死んだら、私と一緒に消えてゆき、誰も再現することのない言葉」とはどんな言葉か。

それを自分の中に探る。

一行書いてみればわかります。自分の書いたものを読み返してみればわかります。

「ああ、これはどこかで読んだのを引用してきたのだ」

「これは、誰かの請け売りだ」

「これは『こういうことを言うとウケる』ということを知っていて書いた言葉だ」

そういう点検をして、ざっとスクリーニングして、それでも残った言葉があれば、それが「余人を以ては代え難い言葉」「私が死んだら、私と一緒に消えてなくなる言葉」です。

それだけが生きている間に口にする甲斐のある言葉です。


関連して、「ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる」という詩句が「ある若い詩人」の言葉として引用されていますが、これは吉本隆明の初期の作品『転位のための十篇』「ちひさな群への挨拶」からの引用です(なぜ分かるかというと、私が好んで読むような著者が好んで頻繁に引用する「鉄板」の詩だからです)。
引用元が明記されていなくても分かる。些細なことですが、「吉本隆明のですよね先生っ?」的な空気感がたまりません。
著者から読者への「分かるでしょ?」というめくばせ。完全に狙ってやってらっしゃると思います。
…だから買っちゃうんですよねえ、内田先生の本って。


閑話休題
人にはそれぞれあるんですよね。それで以て自分を表現するもの。それによって想起されたいと望むもの。それをしなくて死ぬと後悔する、生きた甲斐がないと思われるものが。それを私たちは「生き甲斐」と呼ぶ。
例えば私の上司は「俺は伝説を作るために仕事をしている」と言います。伝説って何だろう、と思ってよくよく聞いていると、人が思わずリスペクトするような業績のことを指すようです。ただ「伝説」という言葉は、単に瞬発的に高い業績を上げるというだけでなく、日々の仕事への姿勢・ありかたへの矜持も含意しているように思います。
つまり彼の場合、誇り高い仕事をし、その帰結として高い業績を上げ、それによって自らを表現し、自分の生きた意味を証明しようとするわけです。
…ほええ。


翻って、ものを書く人間、書くことが好きな人間というのは、多かれ少なかれ、「書いて自分を表現したい」欲求みたいなものがあります。些細な思い付きも、くだらないような考えも、書き留めておかないと、生きた意味が感じられない…というような切迫感がある(ないですか?)。とりあえず思ったことは全部日記かなんかに書いておく。そうしないと身の内に毒がたまるような気分になる。それをいろいろな人に読ませたくて、本やブログを書く人もいます。
その切迫感に、コンテンツが伴うかどうかは別問題です。たぶん、書きたい「中身」が最初から明確だから書きたい切迫感が起こるわけではなく、モヤモヤとした切迫感に突き動かされて、自分の中に、書きたい「中身」を探すのです。


私はこんなに何を書きたいんだろう?

そうして見つかった言葉が、内田先生のおっしゃる「私が死んだら、私と一緒に消えてゆき、誰も再現することのない言葉」なんだと思います。

私もそんな言葉を、そんな文章を書けるようになりたい。

 

以上、はねゆきでした。