はねゆきノート

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映画「君の名は」~運命であることの証明は?

久しぶりの更新です。

9月はわりと時間が取れそうなので、この機会に「ワーク・ライフ・バランス」の「ライフ」の方を充実させよう!と思って…いろいろ計画を練っているところです。

まぁ、普段は「ワーク・イズ・ライフ」の様相を呈していますからね!

野戦場の一兵卒に休みなどないのだよ!ははは!

 

ワーク・ライフ・バランス

もちろん、普段はそれでよいのです。むしろそれが、よい。

なぜなら私、仕事しなかったら、きっと他人とかかわらないから。

自己完結した独善的な世界で、一人で生きていってしまうから。それはとても気楽だし、甘美だけれど、一方でとても危険なことではないか、と思うのです。

だから、何でもいいから働いて、社会と、他人とかかわっていることが、自分にとっては核心的に大切なことなのです。正直待遇とか給与とか、おそらく仕事内容さえも二の次で、私は外界との接点としてかいしゃを必要としています、ハイ。

 

しかし一方で、自分の時間がなさすぎると、だめなんですよねぇ。

内側に向かって閉じられた時間、自分の時間がなさすぎると、それはそれでだめです。

 ですから、9月は自分の時間を増やします。

 

普段やりたくてもできないことを、たくさんやりたいなぁ、と思っていて。

・本をたくさん読みたい。15冊くらいは!

・マンガも読みたい。100巻くらいは!

・映画も観たい。これは5本くらいでいいかな。

・・・

だめですね。完全に趣味が一人で完結してしまうタイプです。ぶっちゃけ他人、いらないですよね。いや、だめです。

 

映画「君の名は」

今日は9月のライフ強調月間← の第一弾として、映画を観てきました。

※ネタバレあり。


「君の名は。」予告

 

うーん、難しかったですねぇ。難しかったから面白かったけれど、それは感動とはちょっと違いましたね。まぁ、面白かったけれど。頭使うから。

序盤はお互い面識のない、境遇もまったく異なる男女が中身だけ入れ替わって日常生活を送る…という話で、よくある「ボーイ・ミーツ・ガール」だなぁと思っていたんですが、中盤以降、どんどん難しくなっていって。時間もズレてるし。

私はちょっと、感動している暇がなかったです。面白かったし、好きですけれどね。

 

それにしても、「運命の恋」のハードルは本当に上がっていますね。

私の狭い観測範囲(恋愛ストーリーにおける)の中ですが、恋愛のSF化・運命の恋のインフレはやばい。本当にとどまることを知らない。

RPGのボスがどんどん強くなり、世界観がどんどん壮大になっていくように、恋愛ストーリーの設定もどんどんインフレしていって。

これもそうだし(中身入れ替わってないけど)

 

あとは死ぬしかないですね、片方

君の膵臓をたべたい

君の膵臓をたべたい

 

 

それが恋愛ものである以上、その恋愛が運命的であり、2人は出会うべくして出会い結ばれるべくして結ばれた2人である、という一種の正当性が必要なのだと思います(逆にそれを証明しない、ということを魅力にする作品もあるでしょうが)。それでは何によってその恋愛が運命的であることを証し、説明するのか?

いまや中身入れ替わったあげく時間まで跳躍するくらいの奇跡で(もしくは片方が死ぬくらいで)、ようやく「運命の恋」として納得し、「感動」するのかなぁ、なんて。それくらい「壮大」じゃないと、我々はそれを「運命の恋物語」として享受し、消費し、感動できないのかなぁ、なんて。

つまりその恋愛が「運命」であることを証明するのは、「奇跡」である。その(最もてっとり早い)一手法がSFであり、中身が入れ替わるとか、時間がずれるとか、片方死ぬとかである、と。(あとどちらかが犯罪者だとか。)それでどんどんSF的恋愛ストーリーが量産されていく、と。

 

まぁでも、私はSFっぽい恋愛ストーリーは結構好きで、もちろん普通の恋愛ものより数段好きです。人物の心理面から説明するよりよっぽど理解しやすく、納得もしやすい。ああ、運命だよね。実際時間超えちゃってるもんね。

逆に人物の心理面から丹念に描写される恋愛小説に「感動」する感受性をはぐくまないと、それはそれでなー、と思ったりもします。

 

とにかく「君の名は」は、面白かったです。絵も綺麗ですし。

 

ちょっとぐだぐだですね。終わりにしましょう。

はねゆきでした。