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【読書】佐藤優『知性とは何か』

佐藤優『知性とは何か』を読みました。

知性とは何か(祥伝社新書)

知性とは何か(祥伝社新書)

日本を蝕む「反知性主義」に警鐘を鳴らし、それに負けない強靭な知性を身につける方法を伝授する…という本です。

まずこの本のキーワード「反知性主義」の定義を確認しておくと、「実証性と客観性を軽視もしくは無視して、自分が欲するように世界を理解する態度」とのこと。
日本の政治・国際情勢の諸問題における反知性主義の蔓延を浮き彫りにしています。


どうして読もうと思ったか

単純に、佐藤優さんの本が面白いから…というのもありますが、やっぱり「反知性主義」というキーワードが引っ掛かったんだと思うんですよね。
もっというなら、自分には《実証性と客観性》が足りないと思う。《自分が欲するように世界を理解する》ドグマに陥っており、自己認識と他者認識が著しくずれ、その矛盾に激しいフラストレーションを感じる…というか。
自分の中に、《他者や世界を自分が欲するように曲解してしまう》歪みを感じ、それが悪感情を生んだり状況を悪くしたりするので、かなり心を痛め、疲れているわけです。そうした歪みは、脆弱だと思うし、かつ「弱いから仕方ない」という言い訳が許されないほど邪悪だなと思います。
なので最近、自分の中の反知性的な歪みを正す処方箋を求めている節がありますです。


反知性主義を克服するには

結局、どうすれば反知性主義を克服できるんだろう?と思いながら各論を読み進めていったのですが、あとがきにあっさりと答えが書いてありました。長いのですが、引用します。

第一は、自らが置かれた社会的状況を、できる限り客観的にとらえ、それを言語化することだ。自分の考えていることをノート、PC、スマートフォンなどに記録する習慣を身につけよう。
第二は、他人の気持ちになって考える訓練をすることである。
第三は、LINEなどのSNSを用いた「話し言葉」的な思考ではなく、頭の中で自分の考えた事柄を吟味してから発信する「書き言葉」的思考を身につけることだ。
(中略)
このような知性を強化する作業を継続することによって、信頼、希望、愛など「目には見えないが、確実に存在する事柄」をつかむことができるようななれば、もはや反知性主義を恐れる必要はなくなる。

結局「日々訓練」ということですね。身も蓋もありません。
特に「他人の気持ちになって考える」なんて本当に身も蓋もないですね。同じ著者の他の本で「相手の内在的論理を知る」ということをよく記していますが、それに通ずると思いました。

結論としてまとめてしまうと上のようなあっさりしたことですが、この本のエッセンスはむしろ、著者ならではの各論の分析の鋭さや興味深いエピソードの数々だと感じました。ぜひご一読いただければと思います。


相手の内在的論理を知るために

では「相手の内在的論理を知る」ためには、具体的にはどうすればいいのでしょうか。
私が著者の本を何冊か読み、自分の特性も合わせて自分なりに考えてやっていること(というか前々からやっていたけれど、特に意識するようになったこと)は、「相手の特徴的語彙を捉える」ということです。
人には必ず特徴的な語彙があります。それはその人の世界観や、人間観や、ビジネス上のドクトリンを示唆するので、それを捉えて分析することでその人の人となりに迫ることができる…と私は思います。
語彙、というか、何かを抽象的なことがらを伝えるときにどのような言葉を遣うか、というか、上手く言えないけど言葉には本当に個性が出るのです。
たとえば新しい上司の特徴的語彙は「腰が引けている」「王者として対応しろ」というもので、営業面で消極的発想を好まず、積極性を称揚します。理想主義的とも言えます。

そして、特徴的語彙を捉えたら、できる限り同じ語彙・論理で話すこと。逆に嫌なやつの(笑)語彙がうつらないように気をつけること。
会社の偉い人は、さらに偉い人の「特徴的語彙」を捉え、同じ語彙を使用することで思考を同化させている…と気づきました。語彙分析で、どの上司がどの役員の影響を受けたのかだいたい分かります(笑)ずいぶん特徴的な語彙だなぁと思っていると、もっと偉い上司が同じような語彙で話していて、なるほどなと思ったりもします。
能力が高く重要なポジションにある人ほど、自分の上司との語彙の同化率が高いので、嫌いな上司の口癖を無意識に使っていたりします。たとえば自分が罵倒された言葉でもって部下を罵倒する等々。頭が良いのは悲しいことでもあるのです。
また、部下の立場にある人でも、頭の良い人ほど無意識に上司の癖を真似してしまいます。口癖くらいならまだしも、舌をべろりと出す癖などが、おっさん上司からイケメン青年にうつってしまったのを見ると、なんかグロテスクだなぁと思ってしまいますですハイ。

話がずれました。
ただ、他人は観察できても、自分だけはなかなか客観的に見られません。
そのせいか、観察してどんな人間か分かっているにも関わらず、地雷を踏むことが避けられません(!)
これは驚愕的でしょう、語彙から背景や人生観を類推できるくせになぜ地雷を踏むのか。
つまり、それとこれとは関係ないのです(笑)
私はよく「人を怒らせる天才だね」と言われます。たぶん人を怒らせないようにしようというおこころが足りないんだと思います。ガードがゆるゆるなのです。気を付けたいです。
まぁ、今後の課題だなぁと思っています。

以上はねゆきでした。